コラム

ピアソラに出会う

1999年11月20日   ボクシングでパンチを受けすぎて脳に障害を生じたボクサーのことをパンチ・ドランカーというが、わが国政府もマスコミにたたかれつづけてとうとうパンチ・ドランカーになってしまったらしい。その・・・

続きを読む

ガングロ・サクソンの世紀末

1999年10月20日   池袋の文芸座で昔アメリカのポリスものを集めてオールナイトで上映したことを思い出した。これでもかこれでもかとポリスの不正ばかり出てくるのでうんざりした憶えがある。もちろんそれ以後もこの・・・

続きを読む

アルジャーノンに花束を

1999年9月20日   「『アルジャーノンに花束を』は読んでますよね」と当然のようにいわれて、どうだったっけと迷いつつ言葉を濁したが、本屋に行ってページをめくってみたら読んでいなかった。題名自体は前から知って・・・

続きを読む

2000年の後

1999年8月20日   公園に面した道が100メートルほど直線で伸びている。道いっぱいに積もっていた落ち葉が日を追うごとに少なくなってきた。カサカサと鳴る落ち葉を踏んで誰もが足早に行過ぎる。朝の冷気を感じなが・・・

続きを読む

ラーメンを食べながら

1999年7月20日   予備校で世界史を教えていた頃、いや日本史だったか、遠い昔のことですっかり忘れてしまったが、憶えているのは予備校の近くの蕎麦屋にいつも出前を頼んでいたことと、ゴム長で出前に来た兄ちゃんの・・・

続きを読む

生ムギ生ゴミ生卵

1999年6月20日   マッスルトレーナーといって1キロずつ重りの入っている靴をときどきはいている。手に持ってみると、ビックリするほど重く、1キロというのはこんなにかと思うが、実際に歩いてみるとそれほどのこと・・・

続きを読む

マスコミ経済の時代

1999年5月20日   テレビに向かって悪態ばかりついていると、見なければいいのにといわれる。そうはいかない。なんだかんだいっても、テレビ中毒なのである。そんなに重症ではないと思うが。 麻薬患者が、自分を蝕ん・・・

続きを読む

鯨を食べる

1999年4月20日   あまり大きな声では言えないが、若い頃はたまに仕事をズル休みしてひとりで温泉につかりに行ってみたり、映画館にフラッと入ってみたりしてみたものだった。今でもときどきそういう誘惑にかられるが・・・

続きを読む

苦しむ力

1999年3月20日   「障害者や環境という言葉には偽善の匂いがして好きになれない」と娘が言う。まさかとは思うが、こういう感性まで遺伝したということはないだろう。そんな私が障害者の野球チームを主人公にした映画・・・

続きを読む

4コマの苦労

1999年2月20日   ホームシアターというのか、大画面でビデオ映画を見る会をやっているから来ないかと前から誘われていた。映画好きの人達、といっても数人だが2か月に1回土曜の午後に集まっているという。『慕情』・・・

続きを読む

五月の藁

1999年1月20日   鎌倉の小さなすし屋で晩年の小林秀雄氏を見かけたのは昭和50年ごろだったと思う。今日出海氏やそのほかの鎌倉文士達もそこにいた。たまたま入ったすし屋だったのだが、偶然の僥倖というのか、後で・・・

続きを読む

いまどきのバランスシート

1998年12月20日   石原都知事の選挙公約に確か、東京都のバランスシートを作るというのがあった。バランスシートというのは、ご承知のように左側に資産を表示し、右側に負債と資本を表示する企業の財務諸表の一つで・・・

続きを読む

もてない男

1998年11月20日   日本経済の先行きは暗く、米国経済は依然として好調である。どうしてそうなったのか、エコノミストを囲む会で誰かが質問した。だが、なるほどという答えは返ってこなかった。そこで、天邪鬼流に考・・・

続きを読む

天邪鬼の言い分

1998年10月20日   「法学セミナー」という硬派の雑誌を読んでいたら、戸野本優子さんというルポライターの書いた「財政再建団体のすすめ」という記事が巻頭に掲載されていた。読んでみると、日本で唯一の財政再建団・・・

続きを読む

ムトゥを見に行く

1998年9月20日   昔の卒業アルバムの写真をテレビで使うからといって、アシスタント・ディレクターを名乗る髪の長い男が事務所に借りにきた。中学の同級生に一人芸能人がいるのだが、彼の回顧談の中でアルバムの写真・・・

続きを読む

ノストラダムスの預言

1998年8月20日   今年も残り少なくなったといえば、通り一遍の時候の挨拶だが、いつもとは少し趣の異なる年の暮れである。というのも、来年はいよいよ1999年、あのノストラダムスの預言の年に当たる。 「199・・・

続きを読む

再び、駅への長い道

1998年7月20日   鈴鹿にF1を見に行った。ダンプと交通事故を起こしたばかりで、あまり車を見たい心境ではなかったが、苦労して手に入れたチケットとやっととれた宿を無駄にしたくない一心だった。数ヶ月前、チケッ・・・

続きを読む

駅への長い道

1998年6月20日   台風の日に短大の授業に行ったら、あるクラスは学生が一人しか来ていなかった。ところが次の週も一人だったので、どうしたのだろうと不安になって、ほかの教室をのぞきに行ったら、そっちも一人だっ・・・

続きを読む

ここだけの話

1998年5月20日   事務所で残業して遅くなってしまったときなど、帰りがけにときどき立ち寄るようになった店がある。いわゆるオープンカフェスタイルの店で、人通りの少ないところにあるせいか、席はゆったりしていて・・・

続きを読む

焼け跡闇市に帰る

1998年4年20日橋本政権のあとを引き継いで誰が首相になるのか、梶山氏のように考えがはっきりしているひとがいいと思うが、年齢的にどうかという意見がある。日本はこれから高齢化社会を迎えることでもあり、今までのようになんで・・・

続きを読む

ビッグバンに御用心

1998年3月20日   金融ビッグバンの経営への影響というテーマで50枚書けという。ややこしいテーマだとは思ったが、できませんというのもシャクなので引き受けてしまった。ま、そんなに知識があるわけじゃないが、た・・・

続きを読む

ヒゲの弁解

1998年2月20日   40を過ぎたら顔に責任を持てとかなんとかいうのがある。40を過ぎなくても、だいたいみんな責任はとらされているはずで、40を過ぎてからことさらにいわれるのは少し合点が行かないが、そんなこ・・・

続きを読む

無趣味の趣味

1998年1月20日   ある会で、趣味をきかれて「なし」と答えるべきところを、「無趣味」と書いたら、会報に「趣味:無趣味」と印刷されてしまった。「無趣味が趣味ってどういうことですか」。なにか深い意味でもあるよ・・・

続きを読む

健康を考える

1997年12月20日   近々ガンの手術をするという人から、お大事にといわれてしまった。風邪をひいて、咳が抜けないだけなのだが、変な咳だと思われて同情されてしまったのだ。ここ数年風邪などひかなかったのに、この・・・

続きを読む

不評を買う

1997年11月20日   米国には公認会計士が20万人もいる。日本は1万人ちょっとだから、人口を割り引いても大変な数だ。試験もそんなに難しくないというので、最近は日本でも米国公認会計士の試験を受けようという人・・・

続きを読む

洋食屋の味

1997年10月20日   気に入った洋食屋を何軒かみつけて、しょっちゅう通っていたら、いつの間にかブクブクに肥ってしまった。仕方なく、行きたいのを我慢していたら少しは戻ったが、しばらく間があいた分、店の敷居が・・・

続きを読む

熱のこもった話

1997年9月20日 会計士というとほとんど押し黙って電卓をたたき続ける貝のような一生を想像し、それに心惹かれるような気持ちを持った時期もあった。自由闊達に話ができればいいと思うが、なかなか思ったとおりには言葉がでてこな・・・

続きを読む

他山の石

1997年8月20日   東海興業、多田建設、大都工業とゼネコンの倒産が相次いで、次はどこだろうと囁かれているところへ、ヤオハン倒産のニュースが飛び込んだ。ヤオハンの有価証券報告書はまだ見ていないが、ゼネコン3・・・

続きを読む

じっと手を見る

1997年7月20日   中央公論にフォーリン・アフェアーズのページがあって、そこの極東代表のT氏がいつも雑誌を送ってくださるので、愛読者になってしまったのだが、9月号に沖縄のことを書いた論文が載っていた。米軍・・・

続きを読む

蕎麦を啜る

1997年6月20日   思いもしなかったところで、うまい蕎麦に出会う。とたんにこの上もなく幸せな気持ちになって、心躍らせながら、はらりとさばいてすすりけりだ。たとえばそれは、時間つぶしに入った下井草の街はずれ・・・

続きを読む