コラム

真夏の出来事

2019年8月20日

 

真夏の夜は、やはりビールである。コップに注ぐたびに、白い泡が湧き立ち、乾杯のたびに白い泡が揺れる。誰かに言わせると、ビールは人に注いでもらって飲む酒だそうだ。それが呪文のように効いたのか、一人のときに飲むことはもうほとんどなくなった。

 

人生で最初にビールを飲んだときのことは、不思議とよく覚えている。あれは中学3年の夏休み前のある日。いわゆる思春期の苦しい時期だった。受験勉強、ベトナム戦争、グループサウンズ、大学紛争、……。当時、若いという字は苦しいという字に似ていると歌う歌があったが、そのとおりだった。学校の勉強には興味が持てなくて、本屋に並んでいた大江健三郎、安部公房、椎名麟三、高橋和巳、柴田翔、倉橋由美子、開高健、野坂昭如、五木寛之、ああ、今から思えば文学の時代だったんだなあ、手あたり次第読みあさりながら、毎日学校のプールで泳いで真っ黒く日焼けしていた。

 

その夜、親戚のおじさんに連れていかれたのは、鹿児島の城山にあるビヤガーデンだった。おじさんは外国航路に乗っていて、久しぶりに鹿児島に帰ってきていた。陽はとうに沈んでいたが、鹿児島の夏は暑い。ビヤガーデンのステージでは19歳のいしだあゆみが銀色の衣装に身を包んで歌っていた。席が離れていて小さな銀色の飛び魚ぐらいにしか見えなかったが、キュートな感じが伝わってきた。

 

テーブルの上には、もう料理が並んでいた。真っ先にアツアツの鶏の唐揚げを食べると、香ばしくて思わず声が出た。そして運ばれてきた生ビールのジョッキが2つ。「あれっ、これ、だれの分?」。おじさんが笑っている。「飲んでみるかい」。「えっ、いいのかなあ?」。恐る恐る喉の奥に流し込んだ。「あれっ、苦くない」。それまでも父親のビールを試してみたことはあったが、苦くてとても飲めたものではなかった。でも、そのときは、「苦くなかった」。それどころか、「うまかった」。そのときのビールは、不思議だった。

 

ただ、ビールがうまかったのはそのときだけだった。ビールを、ほんとにうまいと感じるようになったのは、それからだいぶ経って、三十歳近くになってからである。たぶん、ビヤガーデンの雰囲気と真夏の夜の暑さと唐揚げの熱さ、そしてなによりもいけないことをしているという意識が初めての生ビールをそう感じさせたのだろう。