コラム
イロクォイ族の誓い
2019年6月20日
たまに立ち寄っていた本屋がなくなって、ドラッグストアに変わっていた。自己啓発本やノウハウ本ばかりの本屋だったが、それでもないよりはましだった。いっそのこと政府が文化財として補助金を出すか、公営の本屋を設けるか、なにか手を打たないと、このままでは街から本屋がなくなってしまう。駅前に一軒きり残っている芳林堂も、この間倒産してどこかの傘下に入ってしまってから店の様子が変わってしまった。かつての学生街の本屋の、硬派の面影はすっかりなくなって、言ってはなんだが風前の灯火のような趣である。
アメリカ先住民のイロクォイ族には、「新しいものを取り入れるにあたっては、それが以後の七世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなければならない。」という誓いがあった。イロクォイ族の誓いが今の世界に受け継がれていたら、スマホやコンピュータ、車や飛行機、原子力発電など、取り入れられる余地はなかっただろう。未来の世代への影響などたいして考えもせず、新しいものを誰よりも早く、抜けがけで世に出すことを競った結果が、今の世界の状況に違いない。
しかし、もっとさかのぼってみると、そもそも世界の三大発明とされる紙、羅針盤、火薬からして、未来への影響をよく考えたかどうかは疑わしい。
例えば紙だが、紙が発明されなければ、人は文字を頭に刻んだり、胸に刻んだり、土に刻んだりしながら生きていったのだ。それはそれで、なんと素敵な生き方だっただろう。
次の、羅針盤はどうか。もし羅針盤がなければ、人は他の大陸へ大挙して出かけて行くことなどできなかった。それで遠く異郷の地に暮らす異民族のことを想像し、怖れと親しみの入り混じったような気持ちを抱きながら生きていったのだと思うと、やはりその方がよかったのではないかと思える。
火薬はどうか。もし火薬がなければ、地球上の多くの山や谷や川や、森や林や崖や岩が破壊されずに残っていただろう。兵器が今のように発達することもなかっただろう。そう思うと、これもなかったらどんなによかったかと思えるのである。