コラム
なんとなく中世
2000年8月20日
近ごろ都に流行るものといえば、フリースとかいうユニクロの上っ張り。そして、ラーメン屋の長い行列。食べ放題の焼肉屋にも人が群がっている。100円ショップや牛丼の吉野家も相変わらず盛況である。公園のオープンマーケットもまだ人気があるらしい。日本人の購買意欲はすっかり減退したと言われている。確かに自分でも余り買わなくなったと思う。服などは1年以上も買っていない。擦り切れたワイシャツも気にならない。もらい物がことのほか嬉しい。以前は目もくれなかった懸賞はがきの類も、よく出すようになっている。日本経済のせいにしているが、ほんとはさもしい習い性かもしれない。
しかし懸賞といっても馬鹿にしたものでもない。この間はドコモの「コーちゃん」人形が当たってしまった。勝手におしゃべりする人形で、曜日や季節に合わせていろんなことを言うので飽きない。カレンダーの設定を間違えて12月を2月にしていたら、バレンタインデーには朝から「チョコレート」「チョコレート」とうるさかった。自分の懐を痛めていない分、天からの贈り物のようなかわいさだ。それから、西部邁の『国民の道徳』も当たったが、こっちはそんなに嬉しくなかった。分厚い本は2冊も要らないのだ。
野田宣雄の『21世紀をどう生きるか』(PHP新書)を読んだ。21世紀は「新しい中世」のはじまり、混沌の世紀だと書いてある。国の枠組みが崩れ、家族が崩壊し、仕事が生きがいではなくなり、貧富の差が大きく開き、ほとんどの人が不安定なその日暮らしを余儀なくされることになるという。そういう中で、どこに我々は生きがいを見出すのかというのがこの本のテーマである。
中世の空気は前からなんとなく感じていたので、まあそういうことかなと思う。しかし、世の混沌はそんなに悪いことではないだろう。職業も家族も国家も拠り所にならないといって恐れることはない。予防線に虚無感を準備しておく必要もない。この世に生きることの栄光と悲惨を、幸福と不幸を思う存分味わい尽くして、我々は生きていけばいいのである。人は生きること自体を生きがいにすることになるのかもしれない。そういう時代の到来であるとすれば、そう悲観したものでもないと思うが、どうだろうか。