コラム

裸の王様

2001年6月20日

 

ローズウェルという米国の小さな町を舞台に、どこかの星からやって来たらしい宇宙人の少年達と地球の少女達の交流を描いたドラマを、土曜の夜遅くNHKでやっている。宇宙人の少年達は、墜落したUFOの生き残りで、赤ん坊のときにそれと知らず地球人に拾われて育てられたという設定である。彼らは、自分達が地球人とは違うことは知っているが、自分達がはっきりなにものであるかはわからない。そのことを周囲に気づかれないように用心しながら暮らしている。子供の頃は、自分が宇宙人だったらどんなに素敵だろうと空想にふけったりしたものだが、このドラマを見る限り、そんなに楽しいものではなさそうだ。

ところで、我々の周囲にいる一風変わったヒトのことを、変人ともいうが、よく宇宙人などと言ったりする。しかし正体がよくわからないということで言えば、宇宙人に劣らず、我々地球人も充分に得体の知れない生き物ではある。

なにより、地球人は中身を嫌って空気を好むという不気味な性質がある。昔は空気に流されない頑固な年寄りという層があった気がするが、今はそういう頑固者は消え失せて、巷はミーハーの万年少年少女であふれている。人類史上を通じて20歳以下に抑えられてきた平均年齢が、20世紀後半に急上昇し、20世紀末の日本で始めて40歳に達したという。そのことも関係していそうだが、この万年少年少女を引き連れて山に消えるハーメルンの笛吹きの話を思い出した。しかし、それよりここは、裸の王様の方がぴったり来るかもしれない。裸の王様の物語は、王様が主役のように見えて、実はそうではない。もちろん、王様は裸だと言った子供たちでもない。物語の真の主役は、裸の王様を高い支持率で支持していた多くの人たちの得体の知れなさなのだ。

月刊ガバナンスという雑誌のインタビューで、非営利組織の会計について聞かれたので、「非営利の会計は多様でいいんじゃないですか。フーコーのいう生の権力じゃないが、なんでも規格化、画一化しようという発想は問題だ。国も組織も人も、もちろん会計も多様であることを認め合い、自主性を尊重することが大切だ」と言ったら、「大学に入学するときには学校法人会計を、老人ホームに入所するときには社会福祉法人会計を勉強しなければならないのは不便だ」といった同業者の反論が載っていた。

決算書を見て株を買ったり融資したりというのは当然だが、それと同じ感覚で決算書を見て大学や老人ホームに入るという発想は、いかにも会計士らしくて笑える。それでいくと、子供を出産するときには産院の決算書を、お墓に入るときには宗教法人の決算書を、それこそ“ゆりかごから墓場まで”、人は決算書ばかり見て暮らさなければならないことになるが、それを一笑に付さないジャーナリズムの空気は、得体が知れないというよりなにより、思考力の腐臭がする。