コラム
百年の後
2002年2月20日
百年後の世界に、今の我々のどれだけが生き残っているだろう。自分に関して言えば百年後はおろか50年後だって生き残っている可能性は乏しい。街の雑踏を忙しく行き交う人の群れに身をまかせて歩きながら、これが本当にそっくりいなくなるのだろうかと不思議な気持ちになる。しかし、昨日今日生まれたばかりの赤ん坊でも、百年後にはほとんど生き残ってはいないはずだ。今の我々は、これから生まれるはずの人々にそっくり入れ替わることになる。入れ替わっていく中で、大方は人々の記憶からもほとんど完全に消え失せ、百年後には存在した痕跡もわずかにしか残っていないだろう。いや、まったく痕跡をとどめていないかもしれない。
ピーター・ドラッカーは、90歳を超えた今でも、「何によって憶えられたいか」を自分に問い続けているという。それは自らの成長を促す問いであると述べている。しかしそれも百年後ともなると、記憶に残ることを期待することは難しい。多少は記憶された人も、残酷なようだが完全に消えてしまうだろう。
今の世界で、我々は勝ち組とか負け組とかいって、世の中の流れに負けまいとしたり、少しでも抜きん出ようとしたり、他と競ったりしているが、そんなことも百年後の世界ではほとんど何の意味も持たず、記憶もされていないだろうと思うと、むしろ爽快な気分になる。
ところで、国家百年の大計などというが、それが単なる言い回しに過ぎず、そんなものは本当はないか、あったにしても何の役にも立たないことは、百年前の日本を見れば歴然としている。歴史の本をめくると、1901年に桂太郎の内閣が成立し、1902年に日英同盟が結ばれたとあるが、それから百年の間にあったことを見れば、成行きまかせだったことがわかる。また百年後の今日、桂太郎という名前は覚えていたとしても、記号として覚えているに過ぎない。
それからすると、いまから百年前の時代を生きた石川啄木の名前は単なる記号ではない。あちこちに迷惑ばかりかけて、貧窮の末に27歳で死んだ歌人は、「何によって記憶されたいか」などおよそ考えもしなかったと思うが、歌人の名と作品は、その生き方とともに、百年後の今でも我々にかなり濃厚に記憶されている。