コラム
幸福でない社会
2003年2月20日
子供のころに見た映画の中で一番印象に残っているのは『キクとイサム』、それから『にあんちゃん』である。調べてみると、どちらも封切られたのが昭和34年になっている。ちょうど小学2年生のときだから、小学校の講堂か公民館か、そんなところで大勢で見たのだろう。その年のキネマ旬報ベスト10の1位に『キクとイサム』、3位に『にあんちゃん』がランキングされている。他に『野火』や『人間の条件』なども上がっており、戦争の記憶や爪あとがまだ生々しく残っていた時代であったことを感じさせる。
『キクとイサム』は、進駐軍の黒人兵が残していった混血児を主人公にしている。東北の寒村の差別と偏見の中で生きていく姉のキクと弟のイサム。姉のキクの機関車のようなたくましさのイメージはいまも脳裏に残っている。
『にあんちゃん』は、在日朝鮮人の少女の日記を映画化したものである。佐賀県東松浦郡の小さな炭鉱住宅に暮らす安本末子という少女が小学校3年生から5年生までつけていた17冊の日記。安本家の4人のきょうだいは、炭鉱の臨時雇いとして働く長兄のわずかな収入で、慢性的な栄養失調に苦しみながらも、なんとか命をつないでいた。その長兄が病に倒れ、病床で妹の日記を繰り返し読むうちに、多くの人に読んでもらいたいと出版社に送ったのが名編集者の目に止まってベストセラーになったものである。
北朝鮮への帰国運動もそのころだったらしいが、この家族は『にあんちゃん』のおかげかどうか、船に乗らなかった。その後、安本末子は早大を卒業し、結婚して一女一男をもうけ、兄は慶大を卒業して社会に出たという。このバランスのいい平凡さが、どうやらこの物語の締めくくりと言えそうである。安本末子は後に「生活が楽になるとは、こんなに退屈なものなのか」ともらしたというが、ハッピーエンドのその後としてはちょっと出来過ぎている。
ところで、日本では30年前に200万人あった出生数が、半分の100万人近くまで激減した。これはどういうことだろう。この国では生まれても幸福になれないからではないか、生まれても楽しくないからではないかと思えてしまう。昔は楽しかったのかといえば、多分楽しかった。苦しいこと悲しいことはたくさんあったが、楽しいこともいっぱいあった。今は苦しいこと悲しいことも減ったが、楽しいこともなくなってしまった。親が幸福であれば、幸福を分かち与える子供がどんどん増えるはずである。子供が減っているのは親が幸福でない何よりの証拠。ミレーだったか、人は幸福になる義務があると言ったのは。しかし、幸福は一筋縄ではいかず、その義務を果たすのはなかなか容易ではない。