コラム
ささいな理由
2004年5月20日
新聞を開くと、車のトラブルに関連して起きた殺人事件のニュースが出ていた。それに限らず、世の殺人事件の多くは、取るに足りないようなことが原因で起こるささいな口論が動機になっているという。そんなつまらないことでと、新聞を開いた誰しもが思うわけだが、遺伝人類学の見解によると、これが本当はそんなにつまらないことではなく意外に重大なことが関連しているというのである。
遺伝人類学は、われわれの社会を繁殖システムとして解釈するが、それによると、ささいな口論の背景には、その繁殖をめぐる雄どうしの激しい闘争があるというのである。つまり、蛙でいえば、その繁殖期には「やせがえる、負けるな一茶、これにあり」と俳人一茶の句に読まれたような雄どうしの壮絶な死闘が繰り広げられるというが、その人間版である。ごく身近なところでは、猫の繁殖期に雄どうしの激しくけんかする鳴き声が聞こえてくるが、人間の場合は1年中繁殖期なので、闘争もとぎれることはない。
そんな風に聞くと、頭に血が上りそうになったとき冷静になれるような気もするが、かえっておいそれと負けてはいけないと思う人もいるかもしれない。
ところで、映画のロードショーに期待して出かけると、たいていがっかりして帰ってくることが多いが、その点何の気なしに入った場末の映画館で思いがけずいい映画に出会ったときの幸福感といったらない。
最近見た「悲情城市」という古い台湾映画には久しぶりに心を動かされた。映画は、軍港のあった基隆を舞台に終戦直後の台湾の混乱した社会と人を描いているのだが、冒頭にいきなり昭和天皇の玉音放送が流れてくるのには、驚くと言うより脱帽という感じでまいってしまった。最近アジアの映画を見ることが多く、中国映画の「活着(生きる)」や「北京ヴァイオリン」も悪くはないが、中国映画はまだまだ完成度が低く、「悲情城市」に比べると一味も二味も足りない気がする。
そんなことで、すっかり感動して台湾に行きたいなあと思っていたら、ちょうどタイミングよくN社の社員旅行に便乗させて頂くことになり、今から楽しみにしている。