コラム
不機嫌な料理店
2006年4月20日
生徒が集まらなくてつぶれかかっていた学校を、父親に代わって理事長になった娘が立て直したという話が、新聞に載っていた。新聞は、それまでどこかの教員をしていた娘を優れた経営手腕の持ち主であるかのように持ち上げていたが、そうではないと思う。多分、父親はもう時流に合わせて生きていくのができなくなっていたのだ。軽くて薄っぺらな世の中の流れにうんざりして、しだいに頑なになり、世の中の流れから少しずつ離れていってしまい、自分の好き嫌いにばかりこだわるようになってしまっていたのだ。そこを、なんのこだわりもない娘が時流に合わせて変えただけの話なのだ、おそらく。娘も、いつか父の心境がわかるときが来るだろう。人には、身過ぎ世過ぎのために世の中の風向きを見ながら生きて行かざるを得ないところがあったとしても、最後に行き着くのは好き嫌いなのだ。そう思うと、老いることも悪くない。杉田久女の句、「夏痩せて嫌いなものは嫌いなり」が立ちのぼってくる気分だ。
家の近くに、夜一人でときどき立ち寄る料理店がある。住宅街にぽつんとあって、ほかの客はいないことが多い。カウンターだけの店に、いつも女主人が突っ伏して眠っている。それが、重い引き戸を開けると、がばっと起きて、ものすごい勢いで厚紙でできたメニューを入り口近くの席の前に「どん!」と置く。要するに、ドアの近くのその席に座れ、奥の方に来るな、という意味なのだ。ほかの客に対しては、そんなことはなさそうだ。なんだかよくわからないが、冬は寒くて腹が立った。何か注文しても言葉が返ってくるわけではない。何が面白くないのか、不機嫌がエプロンを付けて包丁を握っているような佇まいで、しばらく経つと注文したモノが「どん!」と目の前に置かれる。いっとき、猫がカウンターの上をさかんに行ったり来たりしている時期があった。猫好きだった私も、さすがに不衛生じゃないかと言いたかったが、そのときだけは不機嫌な顔がほころんでいたので、まあいいかという気になった。だが、猫がいなくなるとまた以前の不機嫌が戻った。
肝心の料理はというと、自然食風のちょっと変わったメニューだが、これが旨くなかったら、こんなところ二度と来るかと言うほどの代物で、悔しいが酒の方もなんだかいけるのである。これを書いているうちに、また行きたくなってしまった。