コラム
スポーツバッカのニッポン
2006年6月20日
夜遅く帰ってテレビのチャンネルをひねると、どこもかしこもスポーツニュースばかりやっていて、いい加減にしろよといいたくなる。しかたなくNHK教育で「数学Ⅰ」の講義などを聴きながら缶ビールを開ける。これが意外にいけるのである。いや、その、「数学Ⅰ」の講義がである。それで、最近自分が意外と数学好きかもしれないと気がついた。少なくとも数学嫌いではない。それが、なぜ長い間数学嫌いだと思いこんでしまっていたのか。
振り返ってみると、どうも中学の頃の先生に数学嫌いを刷り込まれてしまったのではないかという気がする。Nという名物教師だったが、授業中に回ってきてノートをめくっては、「田中ぁ、なんだこれは、もちっと、きちんと書けんのかぁ、きちんと」といつも小言を言われ、「ちっ、ど~しようもないな、こいつは」と捨てゼリフを吐かれるのが常だった。「ふん!」と気にしていない風を装ったが、けっこう気にしてしまって数学アレルギーが生じていた。今から思うと、あきれるほど未熟で刷り込まれやすくできていた。まさか、数学教師というものが生徒を数学嫌いにしようと待ちかまえているものだなどとは思い付きもしなかったのだ。それで、N先生の術中に完全にハマってしまった。もしあのとき、そうならずに数学嫌いを免れていたら、きっとどこかの医学部にでももぐりこんで、今頃は南の方の離れ小島で「白ヒゲ先生」などと呼ばれたりしながら、半農半医の暮らしがおくれていたかもしれないのだ。あれっ、なんだか「ドクターコトー」と「チャングム」を合わせたような話になっているが、まあいいか。
そんなことより、テレビはほんとに視聴者をなめている。いまや、テレビのチャンネルはどこのチャンネルを付けても金太郎飴みたいに代わり映えしないことを確認するための道具となり、テレビのブラウン管(うちはまだ液晶じゃないので)は、テレビのくだらなさを確認するための道具となった。現代のニッポン人は、テレビが考えているほど、ほんとにそんなにスポーツ中毒、スポーツ馬鹿で、どうしようもない『アホでマヌケなニッポン人』なのか。滅亡前の古代ローマ帝国では、愚かな民衆に剣闘士たちの見せ物とパンを与えていたというが、現代のニッポン人も愚にもつかない芸能ネタやいろんな事件の詮索話やスポーツの結果やらを、繰り返し繰り返し流されて、馬鹿みたいにあんぐり口を開けて満足して見ている愚か者なのか。
そう思いつつも、今日もサッカーの試合にチャンネルを合わせている、この手が悲しい。