コラム
仲良しの法則
2007年3月20日
人は皆それぞれに違う。何が違うか。趣味?価値観?感性?生き方?……。いや、私が思ったのはトーンである。トーンを英和辞書で引くと、「正常な身体(精神)の調子」というのが出ている。おう、私が言いたかったのは、これだ。つまり、人は皆それぞれに身体や精神の調子であるトーンが違うのだ。
そして、このトーンが人と人の仲良しの関係に大いに影響していることに気が付いた。人には誰しもトーンが合う人と合わない人がいる。トーンが合う人とは、他のことは全部合わなくても不思議に仲良しになれる。その反面、他のことは全部合っても、トーンが合わない人とは、普通にはつきあえるが、それ以上仲良しになることはない。これが、私の発見した仲良しの法則である。
それでは、このトーンというのはどのようにして形成されるのだろうか。ラカンという思想家によれば、生まれたばかりの子供は「欲求」の段階にあるが、それから次の「要求」へと進み、さらに「欲望」へと進む。最初の「欲求」とは生理的なもので、たとえば食物への欲求とか暖かさへの欲求といったものである。次の「要求」とは、決してかなえられないもので、かなえられない地点に行き着くまで、要求して要求してまた要求し続けるものである。そこで、私が思ったのは、子供が《母》に対して、要求して要求して要求し続けるときの波動や、《母》がその要求に対応するときの波動から、その人のトーンが形成されてくるのではないかということである。
なあ~んて、ぜんぜん違うかもしれないけど。
ところで、ラカンにハマってラカン信者になった人のことをラカニアンといって、世界中にたくさんいるそうだ。私はラカニアンと言えるほどラカンのことをよく理解できているわけではないが、このところ、ちょっとラカンにハマリぎみだ。人はどういう生き物なのだろうと思い続けているところに、スボッと直球を投げ込まれた感じ。誰かが「ラカンの言葉は難しいけど曖昧じゃなく、すごく切れ味もよく、死ぬほどカッコいい」と言っているが、確かにそのとおり、マイッタ。