コラム

死にすぎたのね

2007年10月20日

 

その夜初めて同席した人と話をしていて、ひょんなことから作家の五木寛之がスゴイという話になった。若いときは『さらばモスクワ愚連隊』などを書いていたが、年を経るに従って『内灘夫人』とか『青春の門』などに移り、やがて『大河の一滴』を経て、今は『百寺巡礼』とか『林住期』などというものを年相応に書いている。常に時流に乗ろうとしているところがなんともスゴイ。

そこへゆくと、五木寛之の名前から命名された歌手の五木ひろしなども、そろそろ年相応の曲を考えた方がいいでげすな、といらぬお節介が始まった。

たとえば、そう。『寺町の女』なんてのは、どうですか。いいけど、インパクトに欠けますね。じゃあ『雨の一周忌』は。それも、今ひとつね。うーん。『骨まで愛して』ってのは、既にあったんだなあ。そんなら、『とげぬきの夜』は、どうでげすか。いやあ、いいね、いいね、やっと乗ってきたじゃない。その調子、その調子。てなわけで、酔いの回った頭をひねりにひねって出てきたのが、『北墓場』、『三途の渡し』、『三途の流れに身をまかせ』、『死にたくないの』、『死にすぎたのね』、『勝手にしわがれ』、『腰のフラメンコ』、『特養の恋の物語』、『菊が咲いた』、『飾りじゃないのよヨダレは』、『般若心経をもう一度』、『老女A』、『冥土』、『大往生』、……。

うん?!『冥土』や『大往生』はお酒の銘柄にもいいじゃない。『大往生』なんてのは、もう最初から大吟醸に決まりでげすな。ついでに『遺言』もどうよ。目の前にどーんと『遺言』の一升瓶を置いてさ。でも、なんだか、高そうな酒だなあ。もっといかにも安そうな酒はないかねえ。安いとなると、うーん。『先生』なんて、どうですか。そりゃ、安いね。いかにも安い。あと『真心』。これも文句なく安いね。それから『友情』。うん、そいつも安そうだ。『おやじ』はどうですか。安いね。『おかあさん』は。そりゃ、お酒じゃなくて味噌でしょう。やっぱり、極めつけは、辛口の『おじさん』と甘口の『おばさん』かな。ま、逆でもいいけど、などと言いあいながら、酔っぱらいの夜は更けていった。

最近読んでいる明治の文人、成島柳北の「酒は損益いずれか多き」と題する一文にこうあった。「ああ、1年365日、酒を飲むと飲まざるとは、その損益いくばくぞや。(自身は)これを悟れども、自らあらたむるに難きを嘆ず」と。