コラム

鳥がだまって飛んでいった

2008年3月20日

 

尾崎放哉の句集が文庫本で出ていたのでつい買ってしまった。放哉の句集はもう何度か買ったと思うが、いつもどこかにやってしまって、見当たらない。どこかにある、というのが放哉には相応しい感じもするんだが、文庫本はかばんの底にでも潜ませておいて、ときどきこっそり盗み読むとしよう。

「今朝の夢を忘れて草むしりをしていた」とか、「月夜戻り来て長い手紙を書き出す」などは、放哉でしか読めない。「母のない児の父であったよ」や「一本のからかさを貸してしまった」などもそう。「打ちそこねた釘が首を曲げた」、「鳥がだまって飛んでいった」、「石榴がくちあけたたわけた恋だ」もある。

「咳をしてもひとり」の句がたぶん一番知られている尾崎放哉は、流浪渡世の後、小豆島の小さな寺の離れで肺病をこじらせ、大正15年に41歳で亡くなったのだが、亡くなる頃はもう自分の句が他人に読まれるなど、ほとんど考えていなかったろう。俳句というのは、人に読まれるというよりもまず自分で読んで完結するものである。

その俳句に対してかつて桑原武夫という文学者が、「第二芸術」のレッテルを貼ったことがあった。小説などと比べて、俳句は芸術性が低い言葉の遊びだというのである。しかし、小説のように他人に読まれることを前提にするようなものが、他人に読まれることを前提にしない俳句よりも、はたして芸術性が高いと言えるだろうか。他人に読まれることを前提にする小説は、他人に読まれることを自己目的とするにいたり、ついに商品と化してしまったではないか。

ところが俳句は、他人に読まれることを前提にしない自己表白そのものであるから、ほとんど商品にはならない。要するにあまり売り物にはならない。しかしそのことが俳句の文学としての価値を高めている。自己表白の文学という点では、むしろ俳句のほうが第一位で、小説のほうが第二芸術というべきなのである。

というようなことを、夜な夜な議論していたら、ウエストがまた4センチも伸びてしまった。1年ぐらい流浪渡世を送れば、20センチは引っ込むんだが…。