コラム

楽の上にはなんにもない

2008年4月20日

 

誰でもいい、人を殺したくなったという事件が、相次いだ。誰が被害者になってもおかしくなかったという事実にたじろぎながら、どういうことなのかと誰もが思ったに違いない。営利目的でもなく、怨恨でもなく、いわゆる快楽殺人というわけでもなさそうだ。ひと頃の「理由なき殺人」にいくらか近いのだろうか。

もうだいぶ前から、我々の社会は、生物としての人間には合わなくなっている、と言われている。人間の心も身体も、実は石器時代の環境や社会に適したものなのだ。アトピーなどのアレルギー症状が多いのも、人間の身体が現在の環境に適応できなくなっていることの現れだそうだ。進化生物学によると、生物としての人間は、死に瀕しているのだという。

もしかすると、人を殺すことで、生物としての人間を実感したかったということなのかもしれないと考えた。彼らは、それを実行しなければならないようなところまで追い詰められていたのか。

「世の中が、やっぱり楽をしたい楽をしたいと、楽ばかり求めたことがよくなかったんでしょうな」と、ある人にむかし言われたことを思い出した。

そういえば、山之口獏さんの詩にこんなのがあった。

 

座布団

土の上には床がある

床の上には畳がある

畳の上にあるのが座布団で

その上にあるのが楽という

楽の上にはなんにもないのであろうか

どうぞおしきなさいとすゝめられて

楽に座ったさびしさよ

土の世界をはるかにみおろして

ゐるように

住み馴れぬ世界がさびしいよ