コラム
夏休み
2008年8月20日
む~ぎわら帽子は~もう消えた~。たんぼの蛙は~もう消えた~。それ~でも~待~ってる夏休み~。吉田拓郎の『夏休み』を歌いながら、子供のころの夏休みを思い出す。
夏休みの朝の目覚めは、いつもラジオ体操と決まっていた。誰かが呼びに来たり、誰かを呼びに行ったりしながら、忘れられないのは朝の広場に立ちこめた草いきれと終わった時の深呼吸。それから朝ごはんをゆっくり済ませて、夏休みの宿題。のはずだったが、ちっともやらないのでツケはたまる一方となった。明日から新学期という日に、泣きながらやった、というよりやらされた。「算術の少年しのび泣けり夏」は、西東三鬼のあまりにも有名な句だが、おそらくそういう情景を目にして読んだものだろう。
姉~さん先生~もういない~。きれいな先生~もういない~。それ~でも~待~ってる夏休み。『夏休み』は、2番へと続く。
姉さん先生の思い出は、小学3年の時に思いっきりほっぺたを平手打ちされたこと。パシーンという音が耳に残って、悲しかったなあ。きれいな先生の顔が鬼のようになっていた。なにかの当番をさぼった罰だったが、しばらく廊下に立たされて、しくしく泣いた。
夏~が過ぎ、風あざみ、だれの憧れにさまよう、青空に残された、私の心は夏もよう。歌は、ここから井上陽水の『少年時代』へと変わる。
どの時代が一番好きかと聞かれたら、やっぱり『少年時代』。昭和30年代から40年代になる。なぜか。それは、やはり、そこに「家族」があったからだ。それは自分が子供だったから、そう感じる権利があったからでもある。しかし、それだけじゃない。当時は、どの家にも「家族」があり、濃密なつながりがある時代だった。
われわれの社会はもともとは贈与経済で成り立っていた。家族も、地域も、教育も、医療も、福祉も、贈与経済を前提としたものだった。それが、20世紀の後半になって商品経済が全盛となると、贈与経済が衰退し、「家族」が崩れ始める。
少年時代がひどく懐かしいのは、そこに失われた「家族」の肖像を見ているからなのだ。きっと。