コラム

人間の証明

2009年2月20日

 

ホラー映画は苦手である。ホラー映画でなくても、手術のシーンなどは思わず眼をそむけたり、チャンネルを変えてしまうことも多い。しかし、こうした私の性向は私自身が身に付けたものというより、どうも先天的なものではないかと思う。私の父は血を見ると卒倒するような人で、幼な心にも情けないと感じたものだったが、きっとそれが遺伝したのだ。

そんな私だが、あるとき思い立って『人体解剖マニュアル』という11枚組のDVDを購入した。人間の体は実際どうなっているのか、知りたいというよりは、知る必要があると思い、怖気づく心をふるい立たせながら見始めた。

このDVDは、ポーランド生まれのグンター・フォン・ハーゲンス博士が一般視聴者の前で行った公開解剖講義を収録している。博士は、猟奇的な殺人犯のように見えないこともない風貌で、面白そうに筋肉を骨からひきはがしたり、臓器を取り出したりするのを手始めに、よく肉屋にあるスライサーで人間の胴体をスライスして見せたり、性器や手足の先まで切り刻んだり、眼球を取り出して見せたりする。会場の視聴者のいたたまれないような感じ、自分の身体まで痛くなるような感じが、DVDを見ている私にも伝わってくる。

圧倒されたのは、人間の皮膚を頭のてっぺんから足の先まで全部剥がして見せられたときだ。驚いたのだが、皮膚をはがされた後の人間ときたら、まるで肉屋の冷蔵庫にぶら下がっている骨付き肉のようである。どんな人間も、一皮むけば、所詮ただの骨付き肉なのだ。

ところで、ヒラリー・クリントンの来日のニュースを見ていたら、ナカソネさんの息子やハマコーさんの息子を始め、登場している日本側の政治家が、ほとんど二世議員で、あらためて日本では政治家の世襲化が蔓延していることが浮き彫りにされた。そこで、なぜこんなに政治家の世襲化、家業化が進んでいるのか考えてみた。

政治家という家業は、選挙があるのでちょっと見には不安定なものと思われている。しかし、選挙という仕組みは、よくよく考えてみると世襲にきわめて都合よくできていることがわかる。つまり、民主主義の象徴とされている選挙という仕組みが、実は世襲政治を成り立たせ、政治家に安定した独占家業を保証しているのだ。しかし、それで何か問題だろうか。何も問題ないと私は思い始めている。なぜなら、我々の社会に真の政治家が必要なときは、選挙などの既成のしくみの中から出て来るものでないことは歴史が証明しているからだ。