コラム
見えぬものでもあるんだよ
2009年3月20日
朝のあわただしい時間、テレビの幼児番組を見るともなしに見ていて、ときおり流れてくる歌がある。「みんなちがってみんないい~♪ みんなちがってみんないい~♪」。詞もいいが、曲もいいので、つい口ずさんでしまっていたが、ああ、これって金子みすずじゃないか。ことばの使い方が、なんとなく今風の感じがして、最近まで気がつかなかった。気が付いたのは、スマップが歌ってヒットした槇原敬之の「この世に一つだけの花」と同じ匂いがするところだけだった。きっと、「花」は、この歌に着想を得たに違いない。
金子みすずは、明治36年生まれで、昭和5年に26歳で亡くなるまでの間に600編近くの詩を書きためていたのだが、実生活ではとても悲しい生涯を送ったことで知られている。この詞は『わたしと小鳥とすずと』という詩の一節だが、わたしは『星とたんぽぽ』の中の「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ」のところに来ると、いつもなんだか泣きたいような気持になる。
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海のこいしのそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
強いその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすずは、その悲しい生涯と引き換えに、こんなにも豊かな情感の世界を私たちに残した。考えてみると、私たちにこういう詩編を残してくれた短詩形の人たちは、石川啄木も、山頭火も、尾崎放哉も、みんななにか物悲しい生涯を送った人たちばかりだ。彼らは、いってみれば、この世の様々なしがらみや欺瞞と折り合いをつけることができなかった人たちなのだが、できなかったことが彼らに珠玉のような詩編をもたらしたのだと思う。