コラム
シベリア
2009年5月20日
空腹が得意という人はあまりいないだろうが、私はからきし空腹に弱い部類に入る。人は食べるものがなくなると、筋肉がタンパク質に代わり、脂肪がエネルギーとして利用されるようになる。だから、普通は水さえ飲んでいれば、1か月~2か月は死なないそうだ。肥満の人は脂肪が多い分、1か月や2か月は余計に生きられると言われても、ちっともうれしくない。
いまの日本は絵にかいたような飽食社会だが、それでも餓死する人は増えているらしい。95年にそれまで20人台だったのが、一挙に60人台に増加し、その後100人近くに増えたという話が、雑賀恵子の『空腹について』に書いてあった。それで空腹について考えてみたのだが、先の戦争のときには、南の島やジャングルに送られた兵隊たちも、銃後の国民も食べるものがなくて、それこそ筋肉がタンパク質に変わり、脂肪がエネルギーに変わって、骨と皮だけになった。
戦争が終わってからも、しばらくは食料不足で日本中が空腹に苦しんだ。法を守って配給だけで生活しようとして、とうとう餓死してしまった山口良忠判事の話はよく知られている。シベリアに抑留された日本兵たちも、わずかな食料しか与えられなかった。一つの食器に入れられた二人分の粥を、互いに相手を憎悪しあいながら分け合って食べたという話を詩人の石原吉郎が書いている。
高田馬場の、芳林堂書店が入っているビルの一角にサンジェルマンが入っている。ある日のこと、パンを買っていて見覚えのある菓子を見つけた。これは何だったっけ。しばらく立ち止まって凝視していたが、思い出せない。手に取って包み紙を見ると、小さく「シベリア」と書いてあった。なにか郷愁をくすぐられるその形に惹かれて、ひとつだけ買って、事務所に持ち帰ってこっそり食べてみた。空腹のせいか、ひどくうまかった。
なぜシベリアというんだろうと思って調べてみたら、諸説いろいろあってはっきりしないが、シベリアの凍土を連想させるからというのが、一番ピンときた。しかし味の方はあんまりうまくないというのが、どうやら世間の定評らしかった。そんなことあるかと思って、また買ってきて食べたら、今度はあんまりうまくなかった。うーん。世間の定評というやつは、実に当たらずとも遠からずである。