コラム

役所の言葉

2009年12月20日

 

新聞にでかでかと出ていた映画の宣伝文句を何の気なしに読んでいたら、「空前絶後のスケール感で展開する」というのが出ていた。なんだ、この「スケール感」というのは。「スケール」でいいじゃないか。最近よく耳にする言葉に「スケジュール感」というのがあるが、これを書いた人は「スケジュール感」にならったのか。それとも「スケールで」と言い切るには、さほどのスケールではないので、ちょっと腰が引けたということなのか。あるいは、少し毛色の変わった言い回しがしてみたかったのか。そのどれであるにしても、「スケジュール感」という言葉が影響していることは間違いなさそうだが、「スケジュール感」は役所が作った言葉だろうから、それからするとこういう言葉の発信源はそもそも役所にあるということになる。

役所といえば、最近は何のためらいもなくカタカナ言葉を使うようになっている。アクションプランとか、フォーローアップとか、カタカナ言葉がやたらと出てくる。役所が使うと、「すわ、後れをとるな!」とばかり、民間でもすぐにマネをするところが出てくる。それはそれとして、なぜ役所ではカタカナ言葉が横行するのか考えてみた。

文字にはカタカナやひらがなのような表音文字と漢字のような表意文字がある。アルファベットは表音文字 である。外人は表音文字しか使っていないから、もちろん表音文字しか読めないが、日本人の脳はカタカナやひらがなのような表音文字も読めれば、漢字のような表意文字も読めるように出来ている。ところが脳のある部位が損傷を受けると、突然表音文字しか読めなくなってしまうという。悲しいことだが、今の役所は、少しずつ脳に損傷を受けつつあるのかもしれない。

そういえば、役所の言葉に「規定ぶり」という言葉がある。法律の規定の仕方などを、「規定ぶり」などというのだが、私はこれを聞くたびに「ゴキブリ」とかそれ以上になにか汚いものを連想するような感じがしてなんだかなあと思ってきた。役人ならまだしも、同業者などが役人でもないのに「岡っ引根性」よろしく、ブリブリ言っているのを耳にすると、災いにでもあったような気持ちになった。

こうして見ると、役所の言葉が我々の社会や文化に及ぼす影響ははかりしれないのだが、はたして役所はそういうことがわかっているだろうか。