コラム
故郷は遠きにありて
2010年9月20日
このところどんな新しい映画を見てものめりこんでいけないので、映画なんて面白くないと思いはじめていたとき、目の前にあったDVDに気が付いた。少し前に人から返してもらってそのまま机の上に置いたままになっていた山田洋次監督の1972年の映画『故郷』である。それでどうということもなく見始めたのだが、すぐに引き込まれてしまった。
『故郷』には、瀬戸内海・倉橋島で石船という石を運ぶ小さな木造船で生計を立てている家族が出てくる。倉橋島は、広島県の最南端の島である。海軍兵学校で名高い江田島と呉との間に位置している。石船は、岸壁で石を積み込んで指定された埋め立て予定地まで運んで行って、船を転覆すれすれのところまで大きく傾けて積んであった石を落とす。それで一回5千円ぐらいの運賃が稼げるのだが、一日に2~3回ぐらいしか運べず、燃料代を払うといくらも残らない。大型船に比べるとどうしても効率が悪く、運賃も上がるどころか下げられていた。山田洋次監督の『家族』に続く民子シリーズの第二弾として妻民子は倍賞千恵子、夫精一は井川比佐志、爺ちゃんは同じ笠智衆である。
夫婦は雨の日も風の日も海に出る。爺ちゃんと子供たちは心配しながら帰りを待つ。しかし、とうとう家族に終りが来た。古い木造船にガタがきて、生活が成り行かなくなった。ついに故郷を捨てなければならなくなったとき、なにか大きなものが家族を追いやっていることを感じて精一が民子に言う。「大きなもんとは何のことかいの」「なんで、わしらは大きなもんには勝てんのかいの」と悲痛な声をあげる。
その答えを言うとしたら、何だろう。それは市場経済という名の怪物ではないか。その怪物によって私たちは追い立てられてきた。現代の市場経済、商品経済の肥大化によって、贈与と返礼を前提としてきた社会の基本的な関係や活動は大きな影響を被ることになった。家族が変質を余儀なくされ、かつてのような家族がもはや成立し得なくなったのも、市場経済・商品経済の肥大化によるところが大きい。家族は構成員の贈与と返礼によってしか成り立たない関係だが、そこに市場経済・商品経済の論理が容赦なく入り込んで、家族の関係を変質させたことが家族の崩壊や解体を招いた。
『故郷』の爺ちゃんは、一人島に取り残されたが、あれからどうなったのか。生きていればもうとうに百歳を超えている。