コラム

40年目の真実

2010年11月20日

 

いつもゆったりとした気持ちで1年を過ごせればいいのだが、そんな日は1年に1日もあればいいぐらいで、あとの364日は「怠け」と「焦り」を繰り返しているうちに、ああ終わってしまったなあというような1年である。

テーベ百門の大都と称されるほど幅広い教養の持ち主だった森鴎外は、いつもゆったり構えてコツコツ仕事をする人だったらしい。学生時代から、毎日を規則正しく過ごし、決まった時刻に散歩をし、寝る前に日記を書いて一日を終えるという生活を続けたそうだ。娘の杏奴の目から見ても、「父は落ち着いてものを片付けるのが好きだった。」「父は何をするのにもゆっくりやった」という。短期間の奮闘努力ではなく、毎日コツコツと日常的な作業を積み重ねて大きなことを達成した鴎外のスタイルを見習いたいが、凡人には至難の業というべきである。

消費税が非課税になる社会福祉事業を調べていたら、その中に隣保事業というのが出てきた。隣保というのは聞いたことがない。何だろうと思って調べてみたら、隣保(りんぽ)は、かつてスラムや同和地区において隣保館という貧民救済的施設を運営していた事業で、いまも続けられている事業だと書いてあった。これに関連して、セツルメントという言葉が出てきたので、漠然と知ってはいたが、正確にはどういうことだろうと検索してみたら、学生などがボランティアでやっていたセツルメント活動とこの隣保事業がほぼ同じものだとわかった。

それで、思い出したことがある。40年ほど前、小石川の坂を下っていたら、向こうから上ってくる見覚えのある顔に気が付いた。高校の同級生で、そのころ理Ⅲに入ったばかりのN君だった。N君は嬉しそうに、小石川のセツルメントに行ってるとか、行って来たとか、そんなことを言っていたことを覚えている。しかし、そのときの私はセツルメントがどういうものかよく知らなかったので、へーえという以外の反応の仕方を知らなかった。もし、知っていたら、N君の伝えたかったことをちゃんと受け止めることができたかもしれない。40年前のあのとき。N君は、自分は受験勉強ばかりやっている人間に見えたかもしれないけど、利己的なガリ勉じゃない、ほんとはちゃんと社会の問題にも目を向けて、社会奉仕的なこともする人間なんだと言いたかったのではないかと、40年後の今になって気が付いた。