コラム

悲しみの門を出でよ 

2011年1月20日

 

今という時代、現代という時代は、人が生きるに値する時代なのだろうかと、ときどき思うことがある。人は生物として生きているだけで、決して意思の力によって生きているわけではないし、人が生きることに何か実用的な意味があるなどと思ったことはないけれども、コンピュータと携帯電話をとったら何も残らないような時代に付き合わされるのは、どんな罪を犯した罰なのかと問いたくなる。キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』に、仮想現実を与えられて養殖されている人類の姿が出てくるが、今の我々とどこが違うのか。

我々が生きている今という時代は、約1万年前に終わった氷河期と次にやってくる氷河期の間の間氷期に当たるそうだ。次の氷河期がいつやってくるかは全くわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。やってきたら、10年間ぐらいで、北半球の先進国は雪と氷におおわれてしまうのだが、この可能性を調査した米国のペンタゴン・レポートでは、ヨーロッパやロシア、中国は氷河期の到来で壊滅的打撃を受けるだろうと報告している。日本は、政府の号令の下、一体化しやすい国民が資源の節約や保存に努めるだろうと言っているがどうだろうか。

我々人類の運命は、実はこの氷河期とのかかわりがきわめて深い。20万年前にアフリカに生存した1人の女性が現在の人類の共通祖先だというミトコンドリア・イブと題する論文が世界に反響を巻き起こしたのは今から20年ほど前である。その後の研究で、人類が初めてアフリカを出たのは12万5千年前ではないかと推測されている。しかし、そのときにアフリカ大陸の北の出口から外に向かった人類はやがて氷河期に追い立てられて帰ってきたが、既に広がっていたサハラ砂漠に阻まれて、アフリカ大陸南部の“エデンの園”に帰ることができず、そのまま滅亡してしまったという。そして、再び人類がアフリカ大陸を出たのは4万5千年前であった。今度は紅海にかかる南の出口だった。「悲しみの門」と呼ばれるところだが、氷河期によって渡れるようになっていた。人類はそこから出て世界各地に広がっていったのである。