コラム
元気をもらう、元気をおくる
2011年5月20日
今回の震災でいち早く名乗りを上げた芸能人やスポーツ選手たちが、みな同じように口にしていた言葉がある。それは「被災者に元気をおくりたい」であったり、「被災者に元気を届けられるようなプレーをしたい」であった。テレビに出てくる芸能人やスポーツ選手たちは老若男女を問わず、みな同じような言い方をしていたので少し驚いた。いったいいつからこういう言葉が使われるようになったのだろう。少なくとも30年前まではなかったような気がする。
辞書を引いてみても、元気を使った言葉で、あるのは、元気を出す、元気がない、元気をとりもどす、元気を回復する、元気をなくす、元気がみなぎる、元気に暮らす、元気いっぱい、元気付ける、などの言葉で、「元気をもらう」だの、「元気を送る」、「元気を届ける」といった言葉は、辞書には登場していない。
元気というのはもともと人の状態を表わす言葉として用いられていたのだが、元気をもらう、元気をおくるというのは、元気というなにかスピリチュアルな実体があって、それをやりとりするという発想が、これらの言葉の元になっているようである。
とすると、一つ考えられるのは、「元気をもらう」、「元気をおくる」は、どこかの自己啓発セミナーやカルト教団などで使われていた言葉が芸能人やスポーツ選手などを中心に広がったということである。
もうひとつ、「元気をもらう」、「元気をおくる」は、幼児的な言葉使いだろうと思うので、幼稚園や保育園などから母親を中心に広がっていったことが考えられる。その観点からすれば、「元気をもらう」、「元気をおくる」は、現代人が幼稚化していることの一つの表れとも言えるだろう。
人はみな幼稚なことが好きだ。だからテレビがなくなることはないとテレビ関係者が言って物議をかもしたことがあったが、現代人は幼稚化する一方だ。金子みすずが流行るのもその抒情が好まれているというより、幼稚な言葉遣いが好まれている一面があると思う。
実を言うと、このところ私は元気がない。なので元気を出せよと言ってもらったり、元気付けてもらうのはとてもうれしい。だが、他人の元気をおくってもらったり、届けてもらうのは、まっぴらごめんこうむりたい。