コラム
宇宙創成
2011年7月20日
人はみな自分というものを感じながら生きている。どんな風に感じているかというと、おそらく会社や学校などを含む社会制度に対する身構え方や、家族や友人、知人などを含む周囲の人々との関係の中に、自画像を描いて、そこに自分を感じ取るような形ではないかと思う。
ところがその自分という感覚が、根こそぎ足元をすくわれたような形で、ポーンと吹き飛ばされてしまうようなことがある。東北大震災は多くの人々にそういう運命をもたらしたが、普通に暮らしていてもそういうことがある。自分が吹き飛んでしまうことがある。
そのときに残っている自分というのは、自分の目をロボットの目のように感じ、前に伸ばした自分の手をマジックハンドのように感じながら、その先に視野が広がっている、それが吹き飛ばされた後の自分という感覚ではないかと思う。
そこから再び自分を再構築していくのは、ある意味では死よりも辛いことだ。なぜなら、再構築される自分を以前の自分よりも望ましいものとはとうてい思えないからだ。それでも、再構築していくというのは、生き物としての人間のしぶとさにつきるかもしれない。
サイモン・シンの『宇宙創成』を読んで、壮大な宇宙と目に見えない原子の世界がつながっていることを知った。ビッグバン理論によれば、最初すべての物質とエネルギーは一点に集中していた。その後、壮大な大爆発、ビッグバンが起きた。それから1秒のうちに、超高温だった宇宙は膨張して、陽子と中性子と電子からなる宇宙は光の海に浸された。それから数分経って、水素原子核はヘリウムなどの軽い原子核を形成した。それから、十億年経って最初の星と銀河が形成された。星の内部では、炭素、酸素、窒素、リン、カリウムなどの元素が合成され、ついには生命が進化できるようになった。
ビッグバンから150億年を経て、我々が存在している。といっても、生命が地球上に現れたのは今から数十億年前だが、人間が現れてからはまだ十万年ほどしか経っていない。
人は死んだら何になるか。かつて星になるという伝説があった。この宇宙には1千億以上もの銀河があり、どの銀河にも1千億の恒星があるという。すべての人が星になっても、星が足りなくなることはないのだ。