コラム
角栄の恋文
2011年10月20日
越山会の女王と呼ばれた佐藤昭と田中角栄のことは前にこのコラムで書いたことがある。「離婚して雑司ケ谷の借家に住んでいた佐藤の元に、ある日突然大きな外車に乗った田中角栄が訪ねてくる。外車に佐藤を乗せて池袋の喫茶店まで行ったが、落ち着かないので、注文したコーヒーが来ないうちに店を出て、白山下の三業地の料亭に行き、そこで佐藤に自分の秘書になってくれと頼んだ。このとき角栄35歳、佐藤昭はまだ24歳だった。」
この話は、佐藤昭の『私の田中角栄日記』に出てくるのだが、雑司ケ谷の借家、池袋の喫茶店、白山下の三業地の料亭という三つの地点の移動が、戦後の東京の風景を彷彿とさせながら、ただならぬものへと変わってゆく二人の運命をうかがわせるところがある。
文藝春秋の11月号に載った『角栄の恋文』には、このときのことが触れられていて、「僕はお前の才気や美ぼうに惚れたのではない。もう17年も前の第一印象からであり、2月23日の朝のことを考えても、どんな状態にあってもという前提で出向いた気持ちは今も変わっていないのです。これが縁であり前世からのものかも知れんとさえ思っておるのである。」と書かれている。
角栄の恋文といっても、中身はケンカをして怒っている佐藤昭を角栄が懸命になだめている文面がほとんどである。「軽井沢にでも、上牧にでも一時いて呉れと口ばしってお前にどなりつけられたが、……こんな考え方に対しては反省もするし心からわびます。」今太閤、闇将軍と呼ばれた角栄が、ひたすら低姿勢である。
しかし、女が怒り、男がなだめるという構図は、おそらく人類生誕以来のものである。洋の東西を問わず、昔も今も、女は怒り、男はなだめてきた。もしかすると、アダムとイブがエデンの園を追われたとき、あんたのせいよとイブが怒り、何を言うんだおまえのせいじゃないかと心中思いつつアダムがなだめるという定式が出来上がったのかもしれない。
人はつくづく悲しい生き物だと思う。しかし悲しい生の中に、キラッと光る楽しさがちりばめられている。なんだかうまく言えないが、そう思わせる角栄の恋文である。