コラム

どんなふうにでも先がある

2012年3月20日

 

吉本隆明が亡くなった。「私が倒れたら、一つの直接性が倒れる」と書いた詩人が亡くなった。「もう一度生まれ変わったら何になりたいか」と聞かれて、「もうごめんだ」と答えた人が亡くなった。

昔、吉本隆明の家に行ったことがある。今からちょうど36年前の夏、私が23歳の時だった。その頃編集していたPR誌の記事を、「そうだ、吉本隆明に書いてもらおう」と思い立って、原稿を依頼に行ったのだ。電話で話はしていても、実際会ったら感極まって口がきけなくなるのではないかと思っていたが、そんなこともなかった。写真も載せますからと言って、持っていった一眼レフのカメラで吉本隆明の写真をバチバチと撮った。後で写真を選ぶと、使える写真がほとんどなくて、結局、庭の洗濯物がたくさんかかった物干しを背景にしたおかしな写真を載せざるを得なかったのだが、洗濯物の中にぬうっと立っていた吉本隆明の姿は今も脳裏に焼き付いている。

吉本隆明は、政府の参与にも東大の教授にもならなかった。東大教授の丸山眞男が吉本隆明にはちゃんとした学歴がないと言ったというのを聞いて、「わたしは本質的な勉強をしているから、東大教授のような下品な者にはならない」と言ったそうだ。乞われても文化庁長官にもならなかったし、知事にも副知事にもならなかった。文化勲章ももらわなかったし、どんな権威にも寄りかからなかった。どんな者にもなれたろうに、どんな者にもならなかった。自分の二本足だけで立ち、自分の知だけで立っていた。まさしく知の巨人だった。

「人はみんな、かわいそうなもんだ。」と吉本隆明は言った。

「宮沢賢治もかわいそうだし、夏目漱石もかわいそうだし、そういうおまえはどうなんだっていわれたら、そりゃあかわいそうだ。ひでえもんだなと。人間っていうのはかわいそうなもんですよ。生きるっていうのはかわいそうなもんだ。それはもう、いたしかたのないもんなんだと思います。変更がきくもんでもないし、急に納得がいくもんでもないし、やっぱりかわいそうだなというのを一種の食べ物みたいにして生きていくよりはしょうがない。」

「それでもなんで生きて行くのかっていったら、それは、先があるからでしょう。…先があるからどうなんだ、かわいそうじゃないのかっていったら、先があるっていうことはやっぱりかわいそうだっていえば、かわいそうだけど、それは「かわいそう」って意味をはるかに越えて行く力が自分に備わってるってことだから、そこは「かわいそう」で収まりがつくことじゃない。先があるっていうのは、そこからいつでもどうやって生き延びて行くかみたいな糸口みたいなもんだ。だからとても大切な宝物みたいなものなんだよ。どんなふうにでも、先があるんだ。そのことを忘れてはいけない。」

そういうことばを残して、吉本隆明は私たちの前から去っていった。