コラム
逃亡者
2012年6月20日
逃亡者が捕まったニュースを見ながら思い出したのは、40年前のテレビドラマ『逃亡者』である。妻殺しの罪で死刑を宣告され死刑執行に向かう途中、護送中の列車から逃亡した医師リチャード・キンブルが、普通の市民の中に紛れ込み、さまざまな労働に就きながら暮らしているが、警察の追及や様々なトラブルが起きて、正体がばれそうになり、やがてその場から逃亡を余儀なくされる。その哀愁漂う姿を演じてぴったりだったデビット・ジャンセンは、逃亡者のイメージが強すぎて、その後の役柄には恵まれなかったという。日本では1964年から1967年にかけて放映され、最終回の時は銭湯が空になったというから、まだ、銭湯が主流の時代だった。
逃亡者といえば、吉村昭の小説『長英逃亡』も忘れられない。傑出した蘭学者として知られた高野長英(1804年~1850年)の逃亡劇を描いた作品だ。
蘭学は当時最先端の洋学であり、鎖国政策をとる日本では世界に開かれた唯一の窓であった。長英はシーボルトも認めた蘭学の第一人者として世界情勢にも通じていたが、それだけに幕府の対外政策に対して黙っていることができなかった。渡辺崋山の『慎機論』とともに、長英は『夢物語』を著して、幕府の政策を批判する。1839年、老中水野忠邦の意を受けて洋学者の粛清に乗り出した目付鳥居耀蔵は、洋学を目の敵にしていたが、中でも長英に対する憎悪は激しかった。「蛮社の獄」と呼ばれた弾圧によって渡辺崋山や小関三英は自殺して果てたが、高野長英は小伝馬町の大牢に死ぬまで閉じ込められる永牢の刑を宣告される。長英を待っていたのは、悲惨で病死する者が絶えない牢内の生活だった。5年間の過酷な年月を経て、いたずらに獄死を待つよりも、生死をかけて脱獄すべきだ。ついに長英は脱獄の決心をする。そして、捕まれば火あぶりとなる火つけを決行して、牢外に出ることに成功する。そこから、面目をつぶされた幕府のすさまじい追跡と、長英の必死の逃亡が始まった。
『長英逃亡』は、作者が長英の逃走経路と思しき所を踏査しながら、6年間にわたる苦難の逃亡と潜伏生活を描いたものだが、長英は水も漏らさぬ幕府の捜査網をかいくぐって逃亡を続け、追手を逃れるため薬品で顔まで焼いて隠れ住んでいたが、ついにその住処を付きとめられてしまう。最後は、踏み込んできた同心たちに十手でめった打ちにされ、顔を砕かれて息絶えた。幕末の、権勢が衰えていたはずの幕府でも、反逆者を地の果てまでも追い詰めて抹殺せずにはおかない権力のすさまじさを見せつけたのだった。