コラム

男一郎ままよとて

2012年7月20日

 

一人でため息をつきながらビールを飲んでいたら、店主がちあきなおみの歌う『赤色エレジー』をかけてくれた。「ああ、あがた森魚もいいけど、ちあきなおみもいいね」。ねぎと生姜がたっぷりかかった冷奴を口に運びながら聴いていると、歌が流行っていたころのことが思い出された。

 

愛は愛とて何になる

男一郎まこととて

幸子の幸はどこにある

男一郎ままよとて

 

この歌をあがた森魚が歌ってヒットしたのは、昭和47年だという。連合赤軍のあさま山荘事件やテルアビブの乱射事件などがあった年で、世情は騒然としていた。そんな中で、歌は林静一が昭和45年から『月刊漫画ガロ』に連載した劇画「赤色エレジー」がモチーフになっているというのだが、劇画の方はあまり覚えていない。僕が勝又進の紹介で、神保町の材木屋の2階にあったガロの編集部に、ますむらひろしを訪ねて行ったのは昭和50年のことで、南伸坊が当時はガロの編集長をしていて、やけに顔のデカい人がいるなあと思ったのを覚えている。

ところで、この歌の中の男一郎とはだれか。「男一郎まこととて」、「男一郎ままよとて」と来ると、もうあの小澤一郎しかいない。小澤一郎は西郷隆盛みたいだと何かに書いたことがあるが、僕の思い込みはまだ続いている。だから、小澤一郎はいつか西郷隆盛のように担ぎ上げられ、国家権力と対峙して、敗れ去ることになるだろうと思う。しかし、我々の歴史ではときに勝利者よりも敗北者の方が、権力者よりも反逆者の方が栄光に輝いていることを我々は知っている。知らないという人には、イエスの名を挙げるだけで足りる。

歴史は必ずしも正しい者の味方をするわけではない。「天道、是か非か」と司馬遷は言った。天には本当に道理があるのかと。

司馬遷は、漢の武帝に逆らった罪で宮刑という屈辱的な刑を受け、宦官として生き恥をさらしながら大書『史記』を完成させるのだが、その『史記』を貫く思想が、「天道、是か非か」であった。それは、人間司馬遷の悲痛な叫びであると同時に、歴史家司馬遷の冷徹な認識でもあった。