コラム

コカコオラもう一杯

2012年9月20日

 

タイの田舎の食堂で、久しぶりにコカコーラを頼んだ。その日は朝早くからミャンマー国境沿いの難民キャンプを回って、難民の人たちに面談したり、キャンプの様子を観察したりして、タイ北部の町メーソートに帰ってきたばかりで、のどがカラカラに渇いていた。店の人がコップに氷を入れようとしているのを、「ノーアイス!」と慌てて止めた。氷で腹をこわすよりは、生ぬるいコーラの方がましだと思ったのだが、コップに注いで飲んでみるとコーラは案外に冷えていた。

生まれて初めてコカコーラを飲んだ日のことは、今でも不思議とよく覚えている。あれは、1965年の夏、中学に入ったばかりの夏休み前の午後の暑い盛りだった。ときどき駄菓子や飲み物を買う店の前を通りかかると、店番のおばあさんだけがいて、チャンスだと思った。そのときは誰かに見られたらまずいという気がした。店の脇に置いてある赤い自動販売機のことが、前から気にかかっていた。黒い液体の入った妙な形のビンが取り出されるのを何度か目にしていた。ドキドキしながら50円硬貨を握りしめて、おばあさんに、いつものラムネでもなく、サイダーでもなく、バヤリースオレンジでもなく、コーヒー牛乳でも、フルーツ牛乳でもなく、赤い自動販売機のあれを指さした。それから、薄暗い店の中で、人目を避けるように、ごくごくと急いで飲もうとしたが、生まれて初めての強烈な刺激に涙が出そうになった。やっと飲み終わったときは、なんだかちょっとした不良になったような気がしたものだった。

コカコーラは、1886年にアメリカはジョージア州アトランタの薬剤師ジョン・ベンバートンが開発して売り出した。日本に入ってきたのは戦後だろうと思っていたら、なんのことはない、もう大正年間には入ってきている。高村光太郎が1912年に発表した『狂者の詩』に「コカコオラもう一杯」と書かれているし、芥川龍之介の友人への手紙にも「コカコラ」が出てくるという。

コカコーラの兄弟分であるファンタは、ナチスドイツの政権下で誕生したと初めて知った。アメリカと戦争になったため、コカコーラの原液を輸入できなくなったドイツコカコーラが苦肉の策として開発した代用コーラがファンタだと、「ファンタの歴史」に書いてあった。