コラム

右手に汗の甲子園

2013年8月20日

 

夏の高校野球の試合をテレビで見ていて、いつも思い出すものがある。昔作って、日の目を見なかった沖縄のビールの広告だが、高校野球の観戦スタンドで湧き立つ人たちの大きな写真と、「右手に汗、左手にオリオン。」の文字。高校野球の観戦ではビールは禁止されているのかもしれないが、よくできた広告だったと、今でも思わないわけではない。

昔は、甲子園でどこが優勝するか、どこの職場でも、よくささやかなトトカルチョをやったものだった。参加することに意義があるというだけで、ほとんど当てたことはなかったが、一度だけ山口から初出場の防府商業に賭けて総取りしたことがあって、そのときのことはよく覚えている。

ちょうど予備校でアルバイトしていた時で、最後の決勝にどこが残るか、優勝と準優勝の2校を当てる連勝複式のオッズ表を、確か内山という数学の講師が腰痛に苦しみながら得意満面作っていた。

調べてみると、時は1974年夏の甲子園で、この年から金属バットが使われるようになっている。出場校は、なんと原辰徳の東海大相模、篠塚利夫の銚子商業、定岡正二の鹿児島実業、角富士夫の福岡第一と、その後プロ野球のそれも巨人で活躍する選手たちを綺羅星のように輩出した大会だったことがわかる。その他、京都の平安、岐阜の中京商業、大阪のPL、兵庫の東洋大姫路などの、その頃の常連校が目白押しだった。蔦監督率いる徳島の池田高校が毎年のように出てくるのは、もう少したってからである。その中で、初出場の防府商業は、角を擁する福岡第一を打ち砕き、定岡が投げる鹿児島実業をねじ伏せて、決勝に進出した。決勝では、篠塚のいる銚子商業に敗れはしたものの、連勝複式のトトカルチョはわっはっは、私の一人勝ちであった。

野球といえば、子供のころは試合やキャッチボールなどをしていて、近くの家の窓ガラスをよく割ったものだった。そのたびに世界の終りのような絶望的な気分に襲われたものだが、それでよく懲りずに繰り返しやっていたものだと思う。