コラム

あなたに似た人

2013年9月20日

 

今年の夏はひざ下ぐらいまでの半ズボンに大きなリュックサックを背負った男性のスタイルを目にすることが多かった。気を付けて見ていると、若い人とは限らず、40代、50代の人もいる。割合的には、だいたい電車の一両に5~6人ぐらいはそういうスタイルの人がいて、一つのファッションとして確立しているとみてよさそうである。

しかし、わからないのは、なぜ今こういう、つまり、その、山下清ふうのファッションが出てきたのかということである。山下清は、『裸の大将』で知られる、放浪の天才画家で、昭和15年から昭和29年まで、半ズボンにリュックといういでたちで日本中を放浪した。戦中、戦後と食糧事情が極端に悪かった時期に、放浪生活で施しを受けて生活できたというのは、よほど魅力のある人格だったのだろうといわれている。

ことによると、この現代の山下清たちは、山下清のことを知らないのかもしれない。そして、知らない方が幸せなのかもしれない。

そんなある日、知人に、あなたに似た人だと紹介されたのが、メガネに白いヒゲの爺さん。だが、その人のあまりのカミの薄さ、シワの多さ、ホオの垂れ具合と全体から立ち昇るムサクルシサに、愕然とした。とうてい正視に耐えず、互いに、ちらちら盗み見るようにしながら、自分はこんなふうなのか、少しはこれよりましなところもありはしないか、逆にもっとひどいところなどがありはしないか、複雑な思いが往き来する。

それで、打ちひしがれた末に、一つの結論にたどり着いた。相手の心中はわからないので、もちろん自分だけの結論である。

ヒトは、元来、ハクチョウやシマウマのように美しい生き物ではない。パンダやウサギのように愛くるしい生き物でもない。イヌやサルのように天真爛漫な生き物でもない。一握りの例外がないわけではないが、ヒトはどちらかというと、容姿は美しくなく、性格はひねくれた生き物である。しかし、その美しくない生き物が、ときとして美しく見えるときがある。それは、ヒトがヒトとして表す行動や気持ち、その一瞬の輝きによってである。とまあ、なんとなく、そういう結論にしておこおっと。