コラム
おー、スージーQ
2014年2月20日
商店街を歩いていたら懐かしい曲が流れてきた。クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『スージーQ』である。つい昔を思い出して、立ち止まって聞いてしまった。
あれは、高校3年の秋だった。バンドをやっていた演劇部の後輩のところに行ったら、何人か集まっていてロック・コンサートの打ち合わせをしているところだった。後輩は私にも出演しないかという。
試しにちょっとやってみませんかといわれて、マイクを握った。自慢じゃないが、その頃、私はノドとソウルには自信があった。その時の曲が、『スージーQ』である。「オー、スージQ、オー、スジーQ」と歌うと、誰かが「なかなかスジがいい」とダジャレを飛ばした。それから、私も乗ってしまって、ローリング・ストーンズの『テルミイ』も歌うことになった。
ところが、だんだんその日が近づいてくると、迷いが出てきた。私はそのころ硬派の政治少年のつもりでいたので、そんなライブなどで軟弱な歌を歌っていていいのかという気持ちがだんだん強くなってきたのだ。結局、後輩のところに、やっぱりできないと断りに行った。後輩は残念そうにしていた。
それで、今になって思うのだが、あのとき、もしライブのステージに立って、『スージーQ』を歌っていたら、その後の私の運命は今とはずいぶん違ったものになっていたのではないか、とそんなことを未練たらしく思うのである。人の運命にはなにか節目のようなものがあって、あの時が私の運命の節目ではなかったか。本当のところはどうだったのだろうかと、今になって、歌わなかったことが悔やまれるような気がするのである。
運命といえば、20代の終わりに、神田の古本屋で友人の中嶋寛に偶然出会ったのも運命ではなかったかと思う。私ではなく、中嶋寛にとってである。アメリカから帰ってきたばかりの新進気鋭の彼は、それから気ままなフリーの生活を選び、1人で同時通訳と翻訳を始めてしまった。その後、特徴のある熊本訛りで、アメリカ大統領の就任演説の同時通訳などもつとめたりしていたが、最近『象にささやく男』という野生動物の保護に関する分厚い本を翻訳したといって送ってきた。手紙に「何かの重しにでもしてくれれば」とあったので、『象がささやく男』だったら読みたくなるのだがと言い訳しつつ、その言葉に甘えている。