コラム

本屋の風景

2014年10月20日

 

ナチス・ドイツに協力し、ゲシュタポの手先としてユダヤ人の逮捕や財産没収、レジスタンスの地下運動の弾圧に手を貸すフランス人の青年の鬱屈した姿とユダヤの娘との交流を描いたルイ・マル監督の映画『ルシアンの青春』は、40年近く前になるが、高田馬場の早稲田松竹で見た記憶がかすかに残っている。

その原作を書いたパトリック・モディアノがノーベル賞を受賞したと聞いて、作品が本屋に平積みしてあるものと思って行ってみたら、平積みどころか、そこにはパトリック・モディアノの影も形もなかった。驚いたのは、モディアノだけではなく、そもそも文学や評論、思想などの本がその本屋からはなくなっていて、売り場からすっぽり消えていたことである。代わりに売り場のほとんどを占めていたのは、ビジネス本やノウハウ本の類だった。いつの間に、こんなにビジネス本やノウハウ本の類が増えたのか。いつの間に本屋の主役が成り代わって、ビジネス本やノウハウ本が占めるようになったのか。そこには、もう私の知っていたかつての本屋の姿はない。

少し前に、大学における「教養主義の没落」が取り沙汰され話題になった。大学の文学部から仏文学科や独文学科がなくなり、ややもすると文学部も姿を消し、代わって国際ビジネス学科や情報ビジネス学科なるものが登場した。それが、大学だけでなく本屋にも及んでしまったということなのか。人は文学や思想によって生きるのではなく、ビジネスやノウハウによって生きるのだという現代日本の世相を反映しているといえば、そのとおりなのだろう。

とはいえ、ビジネス本やノウハウ本は、どんなにたくさんあっても、いやたくさんあればあるほど中味は空疎である。受け売りの方法や技術をいくら積み重ねても、それが目的や理念に至ることはなく、そこに手段はあっても内容はなく、安楽はあっても価値はない。しかし、どうやらそれが、私たちの生きている時代の求めるものであり、私たちの時代の姿のようなのである。