コラム
いいこと思いついた
2015 年10月20日
役所などに行くと机の上に積み上げられた書類の高さに驚かされることがあるが、今までで一番ドギモを抜かれたのは、作家の大城立裕氏を職場に訪ねたときだ。記憶をたどってみると、今から36年前で、そのころの大城氏の年譜に沖縄資料編集所長をしていたとあるから、それこそ山のような資料に囲まれていたのだろう。蛍光灯が何本かぶら下がっている薄暗い部屋の中で、見上げるような書類の山が全ての机の上にうず高くそびえていた情景を覚えている。
その情景に比べると、今の私は幾分かはマシだが、それでも机の上は書類の山だし、書棚は本とファイルがギツギツに詰まっていて、新しい本やファイルを差し込める一分の隙間もない。引き出しの中もモノであふれかえっていて、開けると噴出してくる。これはいかんと、今年の初めにカンボジアに行ったとき現地で教えてもらった“こんまり”の『人生がときめく片づけの魔法』を第2巻まで買ってみたが、いっこうにときめかず、片づける気が起きない、困ったもんだった。
しかし、あるとき、ふと気が付いた。片づけるのを仕事だと思ったり、義務だと思うからやる気がしないのではないか。仕事や義務ではなく、趣味だと思えばいいのではないか。そうだ、「片づけ」を仕事や義務ではなく、趣味にするのだ。趣味が片づけ。片づけが趣味。いいじゃないか。そう思ったとたん、片づけが俄然楽しくなってきた。待てよ、これは片づけだけじゃもったいない。税法を読むのも、趣味にすれば楽しいのではないか。そうだ税法も趣味にしよう。税法が趣味。趣味が税法。いいじゃないか。と、そこまでにしておけばよかったのだが、あれもこれもと趣味が増えてしまい、結局は元の木阿弥になってしまったというおはなし。
ところで、新聞は民主主義に必要なものだから消費税を軽減すべきだという話が新聞に出ていた。しかし、そんな理由で軽減するというなら、新聞にはかつて大本営のお先棒をかついで民主主義に反するようなことをしていた過去もあるのだから、軽減だけするというのもどうかと思う。