コラム

思い出の歌声喫茶

2016年10月20日

 

矢切の渡しのこちら岸は葛飾柴又だが、向こう岸は千葉の松戸だということを初めて知った。松戸に講演で行った折、夜の懇親会の席でのこと。古い世代で『矢切の渡し』といえば、大ヒットした歌謡曲の曲名である。細川たかしの「連れて逃げてよ」の歌が口をついて出そうになったところで、一緒にいた女性陣から「この中で、連れて逃げるとしたら誰がいいですか」と聞かれて、うーん、難問で答えられなかった。

最近は、カラオケもめっきりしなくなったが、それでも頭の中には昔のジュークボックスが入っていて、ときどき思い出したように、古い歌を引っ張り出してくる。

「いつの日にか、君に会えると、きっときっと思ってた。でももうやめた、やめた」と歌う高石ともやの『思い出の赤いヤッケ』もそんな歌の一つだ。そして、この歌には、やはり忘れられない思い出がある。50年近く前の、中学の修学旅行の夜。今から思うと、よく引率の教師の目を盗めたものだが、悪友のHと私は京都の旅館をこっそり抜け出して、当時流行の最先端だった歌声喫茶に行ったのである。そのときのことを、私はずっとHが私をそそのかしたのだと思ってきたが、最近まで主婦の友の編集者をしていたHの記憶では、誘ったのは私の方だという。

そこで鮮明に覚えているのは、歌声喫茶の舞台の上に引っ張り出され、司会者から「鹿児島から丸坊主の中学生2人が来てくれました。」と紹介されて、顔から火が出るほど恥ずかしかったことと、舞台の周りを見渡すとたくさんの最新ファッションの男女がいて、ついに憧れの「歌声喫茶」に来たのだと興奮を覚えながら少し不良になった気がしたことだ。

それから、客席に座って、リーダーの声に合わせて、ペギー葉山の『学生時代』とか、ボブディラン『風に吹かれて』とか、ジョーンバエズの『ドナドナ』とか、19歳でデビューしたばかりの森山良子の『この広い野原いっぱい』とか、夜が更けるのも忘れて次々に歌った。その時に初めて歌った歌が高石ともやの『思い出の赤いヤッケ』で、私は夏のキャンプ地で出会った同じ年の少女のことを思いながら、どの歌よりも懸命に歌ったのだった。