コラム

豆腐屋の階段

2025年1月20日

 

どうしてこんな風になってしまったのだろうと思うことがある。自分のことも。そういうと、まるで刑の執行を待っている死刑囚の悔悛のようにも聞こえるが、人の晩年も似たようなものと思えなくもない。

あの頃は楽しかったなあと思い返すのは、今から十五年ほど前、俳人たちの集まる酒場がまだあったころだ。俳人でもないのに、二日と置かずそこに通い、出張で遅くなった時など、タクシーを飛ばしてまで駆け付けたものだった。俳人たちは、おしなべて懐は寒く経済は語らないが、気持ちは熱く文化を語っていた。クリスマスや花見の後は、狭いところにひしめき合って座り、いつもあきれるほどおしゃべりをしているのに、まだそんなに話すことがあったのかというぐらい盛り上がっていた。

客がいないときでも、店番の十郎さんがいればよかった。十郎さんは、オーティス・レディングのレコードをかけてくれて、店の奥に目を凝らすと山頭火の本ばかり書いているセンセイが眠るように座っていた。十郎さんは、表紙が毛沢東語録と同じ色の『荒川くん』という句集を出していた。その句集の中の、一つの句に僕はしびれた。

「豆腐屋の階段 夏の三人暮らし」。

このあいだもらった新宿のタウン誌の、12・1月号の表紙に、四谷三丁目の栗原豆腐店の店頭にたたずむ栗原家の人々の写真が載っていて、一番上の引き出しにしまってあるのだが、その引き出しを開けるたびに写真を目にするので、なんだか一日に一回は見ている気がする。写真や画像がおそらくゴミよりも氾濫している今の世界で、珠玉のような写真だと思う。そして、その写真を目にするたびに、十郎さんの豆腐屋の階段の句が脳裏をよぎるのである。

西郷隆盛は一枚も写真を残さなかった。現代の写真や画像の氾濫は明らかに異常である。しかし、人の異常は二足歩行で立ち上がったときから始まっている。今さら異常を言い立てたところでどうなるものでもない。人は異常の塊なのだ。この分で行くと塊はますます膨張し、いずれ持ちこたえられなくなって爆発するときが来るのだろうか。それとも人は怪物となって生き続けるのだろうか。