コラム

スピノザ

2024年6月20日

 

レンズ職人をしながら思索を深めていった哲学者という程度の乏しい印象しかスピノザについては持っていなかった。ここ数年ちょっとした書店にもスピノザ全集が並んでいたりするほどのブームだが、衝動買いをしてしまうとあとで読むのがたいへんなので、横目でにらんで手に取らないようにして、いつも通り過ぎている。

 

それより、スペインで迫害を受けてオランダに逃れてきた人たちの子孫であるスピノザが属するこの民族の運命には複雑な思いがする。

 

14世紀の半ばぐらいまで、イスラム教の支配が長く続いていたスペインはこの民族が迫害を受けない数少ない地だった。しかしイスラム教勢力が退き、キリスト教支配が強まるにつれて、悪感情が高まり、14世紀末になると激情にかられた暴徒たちが襲うようになる。家に押し入って、財産を略奪するだけでなく、家族を引きずり出し、整列させて海へ連れていき、沖へ進めと号令した。何千人、何万人もの親子、兄弟姉妹、夫婦が海に入り手を取りあって泣きながら沖へ進んでいった光景が目に浮かぶ。

 

しかし、ずっと迫害を受けてきたこの民族が、なにもしないで手をこまねいていただろうか。識字率が飛び抜けて高く、それがまた悪感情を招いたのだが、常に生きるか死ぬかの緊張を強いられる日常の中で知性を研ぎ澄ますしかなかったこの民族が、ただ黙ってやられるのを待っていただろうか。持てる知力と財力をつくして、それと悟られないようにいつも見えないところで必死に戦っていたにちがいないのである。

 

彼らが展開した情報戦と世論誘導と買収工作がどれほどのものだったか、その遺伝子が、その後の世界の金融と情報産業、マスコミ、エンターテインメントを支配し動かしているところを見れば想像できる。あのロスチャイルド家は、18世紀に生まれたネイサン=ロスチャイルドが才覚で築いたとされているが、本当にそうだろうか。この民族のいつ略奪されるともわからない一人一人の財産を預かって中世にいち早く銀行機能を発揮したことで、抜きんでた金融業の地歩を確立したのではないか。そして、知られたくない資金の流れはマネーロンダリングで完全にかき消されたのではないか。一人の扇動者の狂気が招いたとされる20世紀の受難も、なにか伺い知れない背景があるのかもしれない。