コラム

鑑定士狩野亨吉

2024年4月19日

 

いま好きなことを三つ挙げろといわれれば、まず一つ目は本屋に行って面白そうな本をさがすこと。しかし、最近の本屋は自己啓発本やビジネス書、漫画本の類に押されて、面白そうな本は肩身が狭く、その中で本屋がつぶれないように必ず一冊は買うようにしているが、これはという一冊を探すのがしだいに苦しくなってきた。

 

二つ目は、コンビニでときどき買うシニア向けの漫画雑誌『ビッグコミックオリジナル』。最近は漫画の合間に載っているコラムを楽しみに買っていたのだが、そのコラムも書き手がいなくなってつまらなくなり、とうとう連載が打ち切られた。

 

三つ目は日曜のお昼にやっている『なんでも鑑定団』。特に出てみたいとは思わないが、もしものときは、昔プラハで買ったブリキのおもちゃの大砲と、ロンドンで買ったアール・デコのガラスのペン皿がある。

 

『なんでも鑑定団』に出てくる鑑定士の面々を見ていて、いつも思うのは、ここに狩野亨吉先生がおられたらどんなに面白かろうということである。狩野先生は、自然真営道の安藤昌益を発見したことで知られているが、大正十二年に小石川に「名鑑社」という看板を掲げて、鑑定士を始めている。その前は何をされていたかというと、新渡戸稲造の前の一高の校長を務め、昭和天皇の皇太子時代の教育掛に推挙されたのだが、「自分は危険思想を持っているので適しない」と言って断った。夏目漱石が亡くなって友人代表の弔辞を頼まれたときは断らなかった。

 

狩野先生が、安藤昌益の『自然真営道』全十巻九十二冊の自筆本を古本屋から入手したとき、海のものとも山のものともつかない悪文のかたまりだった。ひょっとするとこの著者はアタマがおかしいのではないかと思いつつ、それらを鑑定して、明治四十一年に狩野先生が「我が国に大思想家あり」として安藤昌益を世に紹介して、はじめて日本人はこの大思想家の存在を知った。

 

ところで、狩野先生の鑑定は看板を掲げただけで結局商売にならず、幸田露伴がこんなことを言った。「狩野先生の鑑定は厳し過ぎて、みんなニセモノになっちまうんだ。みんな大事なものは先生のところに持っていきたがらないんだよ」。

そんな狩野亨吉先生のことを弁護士の正木ひろしが評した言葉が残っている。

「狩野先生こそ本当の国宝的人物です」。