コラム
異邦人の思ひ出
2018年2月20日
事務所が移転したところは因縁のある場所である。数年前まで「異邦人」というバーがあった。そこにはかなり年代物の木賃アパートが建っていて、その一階というか半地下が小さなカウンターだけのバーの造りになっていた。バーには屋根裏部屋もあり、そこでときおりドストエフスキーの読書会などをやっていたが、芝居をやることもあったらしい。東日本大震災の後、原発事故で東京に避難していた昔の常連の人たちを慰労するパーティを、その屋根裏部屋で催すというので、茶室の躙り口のようなところから入ったが、中腰でずっといなければならないのがつらくて早々に退散した。
異邦人の女主人のリツ子ママは吉行和子似といわれて、七十は過ぎていたが、その場所で1964年からというから、五十年近く店をやっていた勘定になる。
もう十五年ぐらい前になるだろうか。昔早稲田に通っていた友人がやってきて、確かこの辺にバーがあったぞといって、探したら、ああここだ、ここだ、まだあるんだ、と扉を開けてから、ときどき足を向けるようになった。誰かいるかなと思って扉をあけると、だいたいいつもリツ子ママが一人で本を読んでいた。客はほとんどいなかったが、それでも古い常連が地方から上京してきて、五、六人座れば満席になるカウンターがいっぱいになることもあった。
リツ子ママの亡夫が高橋和巳の小説を映画化した黒木和雄監督の「日本の悪霊」に出ているというので、私が持っていたDVDとプレーヤーを持って行って、二人でずっと見ていたことがあった。リツ子ママの亡夫は、電信柱によじ登って電話線を切るだけのチョイ役だったが、そのシーンを巻き戻して何度も見た。
ちあきなおみのアルバムも、持って行ってよくかけてもらった。今にも消え入るようなバーの小さな赤い電球の光が、その歌によく合った。
異邦人が閉店して、しばらくしたら木賃アパートが取り壊され、その後にビルが建った。そこに今の事務所がある。