コラム
元号の話
2017年8月20日
平成の元号を決めるときには、他に「修文」と「正化」という二つの候補があったそうである。しかし、ローマ字表記の頭文字がどちらも「昭和」と同じ「S」になるので、不都合ではないかという意見もあり、全員一致で「平成」に決まったという。
元号にはすべて出典がある。
明治は易経の「嚮明而治」から採った。明るい方向に向かって治めるという意味がある。
大正は、易経の「大享以正」から採った。正道に沿うという意味である。
昭和は、書経の「百姓昭明。協和万邦」から、ときの内閣総理大臣若槻禮次郎が提案した。これに対して、明治や大正にならって易経から採った方がよくはないか、たとえば「上治」ではどうかなどの意見があったが、昭和に決まったという。これには国民の平和と世界各国の共存共栄を願う意味がある。
平成は、史記の「内平外成」、書経の「地平天成」から採られた。これも国の内外、天地とも平和が達成されるという意味がある。
元号というのは、そもそも君主が特定の時代に名前を付ける行為で、これは君主が空間とともに時間まで支配するという思想に基づいている、といわれてみると、なるほどそういう意味があったのかと改めて思う。元号は、法律で定められていても、使用が義務付けられているわけではないが、公文書などでは例外なく元号が用いられているので、「元号の使用を強制し西暦の使用を禁止するのは、天皇を支持するか否かを調べる現代の踏み絵である」と目くじらを立てる向きもあるらしい。
シニア向けの、つまり六十代、七十代の読者向けの漫画雑誌であるビッグコミックオリジナルに能條純一の『昭和天皇物語』が連載されている。毎回わずかな紙数に昭和天皇の人柄がにじみ出るように描かれている力作であるが、元号を名前に付けられた主人公が、現人神と祭り上げられて、戦争と騒乱の時代に翻弄されつつ、国民の運命に責任のある一人の人間として生きていく姿は、虚構であっても、同時代人としてやはり感慨深いものがある。