コラム
人間嫌いと短命の関係
2017年6月20日
本は二度も三度も読んで初めて本当に読んだことになるんだという気持ちにさせられたのは、森鴎外の『渋江抽斎』を何度も読んでからである。読み終えてしばらく経つとまた読み返してみたくなり、いつの間にかページをめくっていて、他の本に気持ちを切り替えることがなかなかできない。渋江抽斎は、江戸時代末期、弘前の津軽藩につかえる医官であるが、鴎外は抽斎が54歳で亡くなるまでの生涯のみならず、その祖先から親戚、友垣、子々孫々に至るまでを克明に描いている。
本に登場する江戸時代の人々だが、今からするとひどく短命なのに驚かされる。あっけないほど簡単に亡くなっている。そのせいか、その頃の人々は他者との距離の取り方がとても近く、それを嫌がっていないように感じられる。要するに現代人のように長生きのせいで人間のダメなところをいやというほど見せつけられて人間嫌いになる前に、亡くなっているのだ。それか ら、江戸時代は今のように人が多くなかったことも、人々が人間嫌いに陥らずに済んだ一因だと思う。人っ子一人いない山中で誰か人と出くわしたときの懐かしさ、嬉しさに近い気持ちをいつも持っていられたら、人間嫌いになどなれるはずがないからだ。
渋江抽斎の家には、いつも数名から十名を超えるぐらいの食客、つまり居候がいた。これは現代人にはとうてい真似ができない。渋江抽斎が亡くなり、生計が縮小して家を移るときも、未亡人五百(いお)が抽斎の6人の遺児と全部の食客を引き連れていくのだが、この頃の人々は他者に対して現代人とは全く異なる感覚を持っていたのだろうか。
『渋江抽斎』は、抽斎の4人目の妻であった山内五百(いお)の物語でもある。大名家に奉公して通常なら24、5歳で務める中臈頭を15歳で務め、文武両道に秀でていた五百(いお)は、抽斎が集めた八百両の金を奪いに来た3人の賊を、沐浴中の湯殿から口に懐剣をくわえて腰巻一つで駆け付け、賊に熱湯を浴びせて撃退する。かと思うと、抽斎があるとき天井に止まっている蠅の話をしていたら、五百(いお)が「人間も夜は蠅が天井に止まったようになっているのだと申しますね」といったので、抽斎は五百(いお)が地動説を地理の本などで読んで知っているのに驚いたという。
ところで、政府というものは、どんな時でも表向きは王道を往くものだと思っていたらとんでもなかった。いつから平気で覇道を往くようになったのか。昔の儒者なら、それだけで万死に値すると評したことだろう。