コラム
里山という幻想
2017年5月20日
『東京へゆくな』という谷川雁の詩がある。「東京へゆくな」のフレーズの次は、なんだったか思い出せないので、調べてみたら「ふるさとを創れ」だった。まるで政府の「地方創生」を応援するようなフレーズだが、谷川雁が筑豊の中間に住んでいた1950年代の文脈に置いて読まなければ、その叫びは聞こえてこない。炭鉱地帯の濃密な共同体が、目の前で音を立てて崩壊していたのだ。それに対する痛切なシェーン・カムバックの叫びだった。今思うとしかし、崩壊は留めようがなかった。
1950年代から1960年代にかけて、地方から都市へ多くの人々が向かったのだが、人が地方から都市へ向かうのはなぜだろう。経済的な理由もさることながら、蜂や蟻のように群れを作る人間の動物的本性によるものではないかと思う。その証拠に、いまだに地方から都市へ、人々は向かい続けており、それは我が国だけでなく、世界的な現象のようである。
あの幸福国家と呼ばれたブータンでさえも、地方から都市への流出は引きも切らず、エデンの園から追放されてさまよう者たちのように若者たちは首都にたむろするという。人が動物的本性に反して都市を捨てるのは、食糧危機によって飢えに追い立てられるとき以外にないだろう。環境汚染ぐらいのことで、人が都市を捨てないことは今の中国を見ればわかる。
農村や里山をそれだけで価値があるもののように評価する現代の農本主義は、都市生活者やその子弟により唱えられており、農村の出身者であることは少ない。農村の厳しい生活や農業の苛酷な労働の実態を身にしみて知っている者には、とうてい考えられないのだ。
農村の生活は、退屈で刺激のない単調さとの戦いである。雨にも負けず、風にも、夏の暑さにも、冬の寒さにも負けないことが必要だが、何より退屈に打ち勝たなくてはならない。それがどんなに困難なことか。現代の農本主義は、農業共同体やコミューンのような形で試みられたが、ことごとく失敗に終わっており、中国文化大革命の下方政策やポルポトのカンボジアにおける地方への強制移住も、一種の農本主義であったが、悲惨な結果しか招かなかったことでもわかる。