コラム
数学嫌い
2023年1月20日
会計の仕事を長くやっていると、数学が得意なのだろうといわれることがあるが、この分野に数学が得意な人はあまりいないだろうと思う。会計は、数字を扱うといっても、足し算と引き算の世界だから、数学どころか、算数でも鶴亀算とか旅人算とか植木算などのない最も初歩のレベルなのだ。
思い出すと、小学校の頃はまだ算数も不得手ということはなく、それこそ鶴亀算とか植木算とか幾何の問題なども面白がって解いていた時期もあったような気がするが、中学に入ってすっかり文学少年気取りになり、数学を敬遠したせいで、自分で数学嫌いと思い込んでしまったところがあったと思う。中学、高校と鹿児島の片田舎でも数学のいい先生がそろっていたのに、幼稚で、愚かだったせいで、授業中も小説などを読んでいた。
数学のテストを受けても、そのときに初めて目にする数式や記号ばっかりなので、「ふーむ、これはいったい何を意味しているのだろう」と、そのときだけ一生懸命脳漿を絞って考えたことを書いたおかげで、落第はしないですんだ。今になって後悔しても始まらないのだが、6年間もったいないことをした。
事務所の朝礼で、太田先生という東京江東区の中学校の元校長先生で数学の先生をしていた方のコラム集を読んでいる。コラムは、普段何気なく使っている言葉や時候、世情に関するものから算数や幾何、数学に関するものまでさまざまである。読んでなるほどなあと思うことが多いが、ときに味のある言葉遣いに感じ入ることもあれば、また校長先生のいかめしい訓示のような内容に少し鼻白んでしまうこともある。しかし何といっても、算数や幾何、数学に関するコラムが出てくると思わず知らず気持ちがわくわくする。今になって、数学嫌いの返上もないものだが、正直に告白すると算数や数学が楽しくて好きなものの中にいつの間にか忍び込んできていたのである。
去年のクリスマスに、中島みゆきの歌が何かで流れているのを聞いて思った。ああ、聖歌だったのだ、中島みゆきが歌っていたのは。別れや出会い、失意や挫折、闘志や再起の物語を歌いながら、中島みゆきは、そうか、神の門をたたいていたのだと気が付いた。