コラム
漢和休題
2022年9月20日
漢和辞典がピンチと聞いて、これはいけないと書店に走った。書店の書棚を見る限り、漢和辞典は、堂々とした佇まいで、他の辞書を睥睨して、特にピンチの顔はしていない。よしよし、それでいい。
漢和辞典は、昔から使っている学研の『漢和大字典』の他は、だいぶ前に角川の『新字源』を求めてから、もうずいぶん長いこと買い換えていない。『新字源』の改訂新版が出ていることは知っていたが、手元にある旧版も傷んでいないので、そのままにしていた。そういう、つまり私のような者が多いせいで、売れ行きが悪く、「漢和辞典は絶滅するかもしれない」といわれるような事態になったのだ。
そうはいわれても、漢和辞典を引く機会はそうそうあるものではない。最近では、読みかけの本に「profound」という単語が出てきて、思い出せないので、手元にあった学研の『スーパー・アンカー英和辞典』で引いたら「深大な」という訳語が最初に出ていたので、「深大寺そば」なら知っているが、「深大な」という言葉が本当にあるのだろうかと思って、ひとしきり漢和辞典を当たってみたが、どこにも載っていなかった。かろうじて、三省堂の国語辞典『大辞林』に「深く大きいこと」とあって、西田幾多郎の『善の研究』に「社会的意識の深大なる意義」とあると出ていた。察するに、西田幾多郎の造語ではないかと思う。
ともあれ、少しでもピンチの足しになればと、角川の『新字源』の改訂新版の他に、三省堂の『漢辞海』、学研の『漢字源』、大修館の『漢語林』の三冊を買うことにした。諸橋轍次博士の『大漢和辞典』全十五巻セットを揃えるというのならともかく、それぐらいの贅沢はいいだろう。だいたい、漢和辞典で破産した人間はいない。それに漢和辞典は詰まっている内容に比べたら値段は驚くほど安価だ。漢和辞典の相場は、どの辞典もだいたい三千円ぐらいだが、中身はどう見ても三千万円は優に超えるものが詰まっている。だから、漢和辞典の編纂に当たった人の味わえた豊かさには、どんなミリオネアもかなわないだろう。
家に帰り、畳に寝転んで、取り出したばかりの『漢語林』を、パッと開いたら、「伏」の字が出ていた。これは、いわれなくてもわかるが、「亻」(ヒト)と「犬」(イヌ)から成っている。人のかたわらに犬が伏せている。今にも「伏せ!」という声が聞こえてきそうな会意文字なのだ。
そうだ、これからは、月に一日を漢和辞典に当てることにしよう。その日は一日、ありったけの、といっても五冊だが、漢和辞典を広げて朝から晩まで漢字に浸る幸福な時間を過ごすのである。