コラム
幸福の赤い雪
2022年7月20日
書評欄に勝又進の『赤い雪』が出ていた。勝又さんの訃報はだいぶ前に新聞に載っていたが、なつかしいなあ。職場の先輩だった勝又さんの朝霞の家に遊びに行ったのは、昭和50年前後のことではなかったかと思う。勝又さんは、大学の先輩でもあったが、その頃、職を辞して将来の志望を漫画家一本に絞り、高校の物理の講師をしながら、山梨の地方紙に四コマ漫画を連載し始めていた。あまり広くない借家に丸顔の奥さんと幼い男の子がいたが、小さな文机に書きかけの漫画がいくつも乗っていて、毎日が締切に追われている生活の片鱗が伺われた。
思い出すのは、一緒に行った国語教師の木村さんの含羞を帯びた笑顔だ。それから、名前は藤江さんと言ったと思うが、じきに三重大に赴任するという美学の人と、中国文学の仙波さんも一緒だった。
あまり酒の飲めない二人を先に帰して、木村さんと僕は朝霞の駅前で飲み直した。その頃、木村さんはいつもどこからか金を工面してきては、文無しの僕を誘ってよくキャバレーやバーをハシゴしていた。当時としてはそれなりの散財だったと思う。木村さんは「冗談、カニコロよ」が口癖で、酔っ払うと、「ソーニャ、いずこ」で終わる自作の歌をときどき披露した。へべれけに酔って道端で寝込んでしまい、目が覚めたら財布がなくなっていたと聞いたのも一度や二度ではなかった。あれはしかし、どういう時代だったんだろう。今よりはうんと幸福で、うんと不幸だった。
ところで、こんな句を詠む人が世の中にはいるのだと、少し胸焦がすような感覚で、この季節が来るたびに想う句がある。
「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」
それで、嫌いなものはともかく、このところ好きなものは、小津安二郎の映画『浮草』である。繰り返し何度も見ているが、なんだかこれを見ると、幼いとき母親に連れられて行ったドサ回りの田舎芝居の記憶もよみがえってきて、幸福な気持ちになれるのである。