コラム

森と湖の国のリアル

2022年3月17日

 

ウクライナのニュースを聞きながら、最近読んだフィンランドの歴史のことを思い浮かべた。歴史の教科書などにはほとんど登場しないが、フィンランドは第二次世界大戦の敗戦国である。ドイツ、イタリア、日本などと同じ枢軸国のグループに属していた。フィンランドは、当時のソ連と1,300キロにも及ぶ長い国境を接し、国境の目と鼻の先に帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルク、ロシア革命後のレニングラードが位置していた。ソ連軍はレニングラードの安全保障のため、フィンランドを支配下に置こうとしていたことから、フィンランドは対抗上、枢軸国側に付かざるを得なかったのである。

 

森と湖に囲まれた日本より少し小さな国土に戦争の傷跡は深かった。3,600,000人が暮らす、貧しい農業国のフィンランドにソ連の賠償金は重くのしかかった。戦争によって100,000人の死者を出し、94,000人の負傷兵がいた。夫を失った30,000人の婦人たちと、55,000人の孤児が残されていた。615,000人が住む家を失い、80,000人の子どもたちがスウェーデンへの長い疎開生活のトラウマから抜け出せないでいた。母国語も忘れ、親の顔も覚えていなかった。農地は荒れ放題、工場は壊れ、船舶は沈み、トラックは老朽化し、石油代わりに燃やされた樹々のせいで美しかった森も荒廃していた。東欧が次々にソ連の支配下に置かれる中で、次はフィンランドだと思われていた。

 

この小さな国の苦境を西側陣営はどこも助けてはくれなかった。フィンランドのパーシキヴィ大統領は4歳で母を亡くし、14歳で父を亡くして、苦労が身についたリアリストだった。現実を直視し、ソ連を敵視するのでなく、ソ連との友好関係を築くしか道はないと考えた。フィンランド政府は、ソ連の懐に飛び込み、ソ連の信頼を得られるように努めた。フィンランド国民は、宝石や結婚指輪まで供出して賠償金の支払いに充てた。フィンランドは必ず言ったこと、約束したことを守ると証明して見せた。「なぜ、フィンランドを共産圏にしないのか」と聞かれて、スターリンは言ったそうだ。「フィンランドにはパーシキヴィがいるのに、なぜそんなことをする必要がある」。ソ連は賠償金を減額し、支払期限を延ばした。

 

フィンランド国民は、パーシキヴィを86歳で引退するまで10年間大統領に選び続け、その路線を継いだケッコネンを81歳で引退するまで25年間大統領に選び続けた。そうして、賢明な国民と大統領は、ソ連やロシアと争うことなく、フィンランドを教育と福祉の充実した豊かな国に押し上げた。