コラム

110マイルの距離

2022年1月20日

 

英国と日本は、それぞれユーラシア大陸の西と東の端にあって、海峡を隔てて大陸に近接しているという地理的条件は類似している。しかし、大陸との距離は英国のわずか22マイルに対して、日本はその5倍の110マイルである。そのせいもあってか、英国は、キリストの時代から4回にわたって大陸からの侵攻を受けているが、日本にはそれはない、とジャレド・ダイアモンドはその著書『アップヒーバル』の中で述べている。

 

しかし、日本も663年の白村江での敗戦の後、唐・新羅連合軍に侵攻される恐れはあった。朝廷が九州の太宰府に水城を築き、沿岸に防人を配備したのはそのためである。結果的になかったのは、当時の航海術からして110マイルの距離はハードルが高かったのかもしれない。1274年と1281年の2度にわたる蒙古襲来も、やはり110マイルの天然の要塞が幸いしたと思う。22マイルだったら、とても防げなかっただろう。

 

蒙古襲来を撃退したのは鎌倉幕府の執権北条時宗だといわれている。小学生の時、北条時宗の伝記を読み、すっかり戦時中の軍国少年のような気持ちになった。それで、読書感想文の題材にしたら賞に選ばれ、先生に連れられて賞状をもらいに市長さんのところに行ったことを覚えている。もう賞状も作文も残っていないが、子ども心に「時宗よ、なぜ〇〇なのだ」という言い回しを多用したところが受けたのかなと思ったものだった。

 

ところで、その北条時宗の蒙古への対応は正しかったといえるのか、今になって疑問がわいてきた。フビライが蒙古への服属を求める国書を鎌倉に送ってきたとき、時宗はまだ18歳で執権に就いたばかりだった。若気の至りからか周囲の声に耳を貸さず、フビライからの国書に一切返事を与えないばかりか、来日した使者を切り捨てたりしている。そもそも、時宗がそういう対応をしていなければ、わざわざ110マイルの海を渡って元軍が攻めてくることなどなかったのではないか。フビライの使者を丁重にもてなして送り返しておけば、元寇などなかったのではないか。少なくとも2回目は起きなかった。そんな気がしてきたが、どうだろうか。