コラム
戦争に行った話
2021年8月20日
顔を見て恐ろしいと思った。国の長になって、突然善き人になろうと思っても、そうは問屋が卸さないのである。善き人の表情を作ることはできても、善き人の語り口は伴わないのである。人は、生まれたときからずっとつながっていて、気が遠くなるほど前から準備を怠らないようにしなければ、完璧に善き人を演じることなどできないのである。
ところで、年を取って、あまりに現実に触れ過ぎたせいだろうか。絵、音楽、文芸のどれをとっても、薄っぺらでわざとらしい作り物の感じがだんだん強くなってきて、もう昔日のようには感じられなくなってきている。それでも時には染み入るように感じることがあるものだと思った。旅先の本屋で買い求めた文庫本に載っていた庄野潤三の『結婚』という短篇を読んでそう思った。だからといって、もっと他の話も読んでみようという気にはならない。もう散々繰り返してきたことだ。
このあいだ、若い人と戦争の話をしていたら、「戦争に行ったんですか」と聞かれたので、つい出来心で、「行きました」と答えてしまった。するとタガが外れたみたいに、「三八式歩兵銃という明治38年製の重い銃をかついでね、日清日露の大戦から、大東亜戦争、太平洋戦争へと転戦してたいへんでしたよ。」と、どの口が言わせているのか、若い人もさすがになにかちょっとおかしいと気が付いたようだった。どうせなら、戊辰戦争か西南戦争あたりからにしておけばよかったか。
子どもの頃は、戦争中の話をしてもらうのが無性に好きだった。父親からは軍隊で毎日のように殴りつける怖い上等兵の話を聞いていたが、たまたま近所に新しくできた魚屋の主人がその上等兵だったというので、どんな怖い人かと見に行ったら、父親のことを気にしていて、お土産をどっさりくれた。母親からは、軍事教練で配属将校から殴られて、女の子の顔に何をするかと親が怒鳴り込んだことや、代用教員で赴任していた学校から夜道を歩いて帰る途中、グラマンから機銃掃射を受けて九死に一生を得た話などを聞いた。
まだ、近くには防空壕の跡などもあって遊び場にしたり、むかし何かの基地があったというあたりに行って土を掘り返すと機銃の弾丸のようなものが出てきたりして、戦争は遠い過去の出来事ではなかった。