コラム

世界中、探したのか

2021年4月20日

 

若松町の女子医大の前だった。バス停の行列に見覚えのある人が並んでいた。学科の一年先輩で空手部の主将だった小沢さんだ。小沢さんには、私が落ち込んでいた時期に、ぽつんと控室にいたら、「田中、空手をやってみないか」と声をかけられて、しばらく付きっきりで鍛えてもらったときがあった。

 

久しぶりの再会で、学生服姿が目立っていた小沢さんは背広姿に変わっていた。近況を尋ねると「おれ、ハクホウドウに勤めてるんだよ」というので、その頃の私ときたら、ハクホウドウ?和菓子屋さんか、と勝手に思い込んで、和菓子を売っている小沢さんをちょっと想像したりもした。

 

その頃というのは、今からもう50年近く前のことである。ハクホウドウも、デンツーもなんだかわからず、友人の兄貴がデンツーに就職したと聞けば、てっきり労働組合の全電通のことだと思って、あのアメリカかぶれしたような兄貴は、意外とそういう面があったのかと見なおしたことがあったぐらいだった。

 

それで、5年前の新聞記事を探していて、たまたまそこに小沢さんの訃報が載っているのを見つけるまで、すっかり忘れていた。小沢さんは、CMなどを制作するクリエイティブ・ディレクターとしては、レジェンドと呼ばれるほどの人だったのだ。迂闊にも全く知らなかった。博報堂の常務執行役員を経て顧問をしていたという。

 

それよりも、小沢さんは数々の名言を残していて、博報堂が社内用に出版した『先達クリエイターの名言集』から小沢さんの言葉だけを抽出して一般向けに『おざわせんせい』という本が出版されていた。

 

その中の一つ。「イメージ通りのロケ地は見つかったか?」「なかなか、この季節には難しくてですね…」「世界中、探したのか?」。これが広まって、業界では「小沢さん?ああ、あの世界中探したのかの人」といわれていたらしい。

 

金曜日の夜、小沢さんがウイスキーのストレートを傾けながら、ふと漏らした言葉を部下が聞いていた。「あー、早く月曜が来ねえかなあ。」

 

ある朝、夜を徹して仕事を仕上げたスタッフに、「おれは徹夜しろとは言ってないぞ、朝までにやれとは言ったけど。」

 

本の案内には、「人生には二通りある。小沢さんを知ってしまった人生と、知らない人生である」と書いてあった。