コラム
僕の会社
2021年1月20日
『警察日記』という昔の映画を見ていたら、田舎の警察署に「僕の会社」という額がかかっていた。「?」と思ったら、「僕の会社」ではなく、右から「社会の僕(しもべ)」と読むのだった。主演は、二木てるみ演じる捨て子を保護して、子だくさんのわが家に連れ帰って面倒を見る巡査役の森繁久彌で、身売りされかけた娘に淡い恋心を抱く三国連太郎や宍戸錠も若い巡査役で出演しているが、署長役の三島雅夫がなんともいい味を出している。こういう役者がいなくなったということは、こういう人間が世の中からいなくなったということなんだな。
前に読んだ『アンサング シンデレラ』という漫画が石原さとみ主演でテレビドラマになった。アンサングとは何だろうと今になって辞書で引いてみたら、「知られざる」という意味だった。ふーん。誰もかもが、目立ちたがって、ネットに動画だのインスタだの出したがる時代に、「知られざる」ですか。
『名もなく貧しく美しく』は、高峰秀子演じる聴覚を失った女性が終戦後の様々な苦難の中で生き抜く物語だが、今から半世紀以上前の日本人は、「名もなく、貧しく、美しく」生きるのが美徳だった。美術史家の辻惟夫が日経新聞に連載中の「私の履歴書」に樺美智子の話が出てきたが、樺美智子の遺稿集も『人知れず微笑まん』だった。
目立つことが、さもいいことのようにいわれるのは、単に通信会社の口車に乗せられているだけなのだが、今の社会の価値観のように映る。それにしても、役所までが目立つことに余念がなく、これでもかとばかり牛肉の写真を満載したカタログを送りつけて、ふるさと納税を勧誘する姿などは、いずれ行政の退廃ぶりを示すエピソードとして語り継がれるに違いない。
昔の男たちが戦争に行った時の気持ちは、日々の暮らしを黙って歯ぎしりしながら支えていた女たちに対する敬意だったと思う。そんな男たちも、女たちも、もう世の中からいなくなった。
そういえば、谷川雁にこんな詩があった。真夜中に蒼ざめた森の中で、居た堪まれない気分になると、「知られざる者こそ王」と囁いてみる。